フラメンコ教室エルソル ブログ

2023年10月

2023.10.31

ふじさわ国際交流フェスティバルに参加しました。

 2023年10月29日(日)、第20回目のふじさわ国際交流フェスティバルに参加しました。

今年18歳の長男が赤ちゃんの頃から何回も参加させていただいています。

今まで国際交流フェスティバルでフラメンコを踊ったことを思い出すと、当時の育児のドタバタも一緒に思い出されます。

先日はたくさんの方にお越しいただき、暖かい声援と拍手をありがとうございました。

カンテの礼子さん、ギターのじゅんさん、たかさん、カホンのりゅうさん。ありがとうございました。

生徒さんも堂々としていてとても素敵でした。

2023.10.24

スペインの寮での新入生歓迎会(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

もうすぐハロウィンですが、仮装しますか?

大人になってから仮装したことありますか? 私はグラナダの女子寮の新入生歓迎会でヤシの木になりました。 これが人生で最初で最後の仮装だと思います。

★~★~★~★

 「スペインの寮での新入生歓迎会」(フェイスブックの過去の日記より) 入寮して数週間経ったころ、新入生歓迎会(novatada)がありました。

これは寮に入った新入生にとって避けて通れない試練です。

その時期に、顔に落書きをされた男子学生が外を歩いているのをよく見かけました(これは全然おとなしい方だと思います)。
新入生歓迎会においては上級者からの命令は「絶対に従わないとならない」もので、女子寮なので穏やかな方でしたが、陽気に見えるスペイン人のティーンエイジャー達でさえ、数日前から緊張して憂鬱そうな顔をしていました。
命令の一つが仮装でした。
歓迎会の前日にひとりひとりへの仮装の指示が発表されました。
私への仮装の指示は「palmeroヤシの木」でした。
フラメンコで手を叩く男性のこともpalmero(女性はpalmera)というので、「これは木の方だよね」と確認しました。
他の人達は、ピンチート(爪楊枝に刺さったおつまみ)、ボカディージョ(フランスパンのサンドイッチ)、有名人やドラマの登場人物等に仮装しました。そういえばティオペペもいました。

仮装のための段ボール等の材料を集めにみんなで近所のお店を回りました。そのため私はフラメンコレッスンを休みました(私が留学中にフラメンコ教室を休んだのはその1日だけ)。
仮装以外にやらないといけなかったことは、各々指定された先輩へのプレゼント(小物入れになる箱)の手作り、それと、お芝居や楽器演奏や歌の披露でした。


先輩へのプレゼントを手作りするために、まだ話したこともない先輩に会いに行き、どんな箱がいいか、色や形、大きさなどの好みを聞きました。寮の上級生たちと仲良くなるきっかけになるようにという計らいです。
歓迎会は夕食後に広い玄関ホールで行われました。
まずは仮装した姿を見せて笑われて、そのあとの準備のためいったん部屋に戻った記憶があります。
そして、ここからが恐怖の歓迎会。
先輩たちは皆サングラスをして黒い帽子や黒いマフラーで表情を隠し、黒ずくめの服を着て床にあぐらをかいて車座になり、新入生たちを待ち構えていました。
まず、一人ずつ手作りの小箱を先輩に渡すのですが、先輩たちはみんな揃って怖い先輩の演技をしています。
一人ずつ輪の中央に立って、プレゼントを手渡す先輩の名前を呼ぶのですが、スペイン人の名前は個人名+父方の姓+母方の姓から成るので、新入生が緊張のせいで先輩の名前を言い間違えたり忘れたりすると、先輩たちから一斉にブーイングを浴びせれらたり舌打ちされたりという目に遭わされます。
手作りの小箱を渡すのも簡単ではなくて、サングラスして黒ずくめの格好をした集団の中から目当ての先輩を探すのです。違う先輩に渡してしまいそうになると、「まだ先輩の顔も覚えとらんのか」とまた一斉になじられるのです(演技)。
なぜこんな面倒くさい集団生活を選んでしまったのだろうと後悔しました。寮なんてやめれば良かったと私は早速思いました。

まだまだ続く恐怖の歓迎会。続いて一人ずつ芸の発表。
最初は誰も笑いも喋りもしないシーンと静まり返った中で(先輩たちの演技)、先輩たちが取り囲むステージでたった一人で芸を始めます。
途中からガラッと空気が変わって先輩たちが急に手拍子を始めて陽気になって一気に盛り上げてくれる、というのが毎回のお決まりの流れでしたが、一人の番が終わると、また元の異様な空気に戻るのです。
私はセビジャーナスを踊りました。 思ったより早めにみんなが盛り上げてくれました。気を使ってくれたのでしょう。
(私が通っていた日本の大学から毎年一人がこの女子寮に入るのですが、このnovatadaではスペインでも人気の日本のアニメ「アルプスの少女ハイジ」の主題歌を日本語で歌うのが定番だったそうです。私は音痴なので歌は絶対に避けました)

とにかく無我夢中で乗り切った、よく頑張った経験でした。

2023.10.19

たまごっちの思い出(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

最近、Wi-Fi機能が搭載されたたまごっちが発売されたとか。

一時期は一世を風靡したたまごっち。

実は、私もかなり早い段階で注目していたのですよ。 

★~★~★~★~★

「たまごっちの思い出」(フェイスブックの過去の日記より)

1996年から1997年にグラナダ大学付属のセントロ・デ・レングアス・モデルナスで勉強しました。

会話クラスは少人数制で、私以外にはアメリカ人が数人、イギリス人が数人、オランダ人、フィンランド人、ノルウェー人がいました。

毎週一人が交替でリーダーになり、話し合いのテーマを決め授業を進める日がありました。

自分の国の問題点などを挙げて、みんなはどう思うか、と話を進める人が多かったです。

私に初めてそのリーダー役が回ってきた時、今日本で話題のことって何なんだろうと考えました。

当時グラナダでは、限られた1か所のキオスクでだけ、週一回日本の新聞が1種類だけ買えました。

日本にいる友達になにかニュースを聞いてみようと思って電話しました。

当時は、文系人間にとってはメールはまだ馴染みがなくて、私は友達や家族に手紙を書いて送っていました。

(家族が出て本人がいなかったら電話代がもったいないから一人暮らしの子に電話しよう)

「もしもし。今スペインから電話してるんだけど」

「えー!本当に?」

「今日本でいちばんの話題ってなに?」 

「うーん。猿岩石が日本に帰ってきたことかな」

私はお礼を言って電話を切りました。

ああどうしよう、授業は来週だ・・・

テーマが決まらず困っていたある日、日本人留学生の家で日本の週刊誌を見ました。

そこにはたまごっちというゲームの試作品についての話題が。

記事によると、「試作品を使ってみた女子高校生たちからの評判は上々。近々発売」

ペットを飼う手軽な疑似体験。命を遊びにするなんてとんでもない話。こんなの絶対おかしい。みんなに聞いてほしい。これを授業で話そうと決めました。

案の定、たまごっちはみんなの常識、想像をはるかに超えていて、説明に苦労しました。

想像が出来ないのでどう反応していいのやら、という様子で、

「なにが面白いんだかさっぱり理解できない」

「売れるわけがない」

「私の国ではそんなもの流行らないわ」

欲しい反応がもらえず明らかに小馬鹿にされていることがわかり、あーあ失敗したと思った苦い記憶です。

そして月日は流れ半年後。1か月後には日本に帰るという頃。

寮のスペイン人の子から、「クラスの男子が日本生まれのの面白いゲームを持ってきていたよ」と聞きました。

そう、たまごっち!!みんなで興味津々で取り囲んで見たそうです。

日本人の発想はすごいね、とスペイン人の子が言っていました。

日本で爆発的に流行り、世界各地に一気に広まったようです。

「私の国ではそんなもの流行らないわ」と言ったのはフィンランド人の子でしたが、そのフィンランドでたまごっちのための”合同葬儀”が執り行われた、というニュースを日本に帰国してすぐにテレビで見ました。

一時期は一世を風靡したたまごっち。

結局私はいまだに実物をそばで見たこともなく触ったこともありません。

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