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2023年11月

2023.11.26

フラメンコ教室エルソル 第11回発表会を行いました。

 2023年11月25日(土)、藤沢の新堀ライブ館のセゴビアホールにて第11回発表会を行いました。

急に寒くなった日でしたが、お越しくださいましたお客様方、ありがとうございました。

毎日忙しい中一生懸命に練習してきて、生徒さんも素晴らしかったです。

来年の夏の発表会も楽しみですね。頑張りましょう。

ギターの宮川明さん、カンテのレイコシミズサンギットさん、どうもありがとうございました。

2023.11.23

東方の三博士の日(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 グラナダの寮は授業が始まる前日にならないと入れなかったので、年末年始のイタリア旅行の後は、グラナダに帰る前にマラガに少し滞在しました。

★~★~★~★

「東方の三博士の日」 (フェイスブックの過去の日記より)

スペイン留学中のクリスマスと年末年始はイタリア旅行をしていましたが、1月5日はマラガにいました。

1月6日が祝日で、その前夜に東方の三博士が子供たちにプレゼントを持ってくると言われています。

1月5日の夕方に大通りでパレードがあり、マラガに帰省中の子と一緒に見ました。

山車から沿道の人たちに向かってお菓子が投げられるので、ここがいい、あっちがいいとウロウロしてパレードを見る場所を決めました。


私は折畳み傘を手に持っていたのですが、鞄にしまうように言われました。

傘を開いてお菓子を傘の内側に入るようにしていた人がいて(大胆!)、他の人とトラブルになったのを前に見たというのです。

誤解されてスペイン人のあの早口でまくし立てられたら、もうたまりません。急いで傘をしまいました。


三博士に扮した人たちを指して、「あれがバルタサール、ガスパール、メルチョール」と教えてもらいました。

私はカトリックの学校にずっと通っていたのですが、三博士にそれぞれ名前があることを初めて知りました。

何十年たっても忘れられない得難い経験がマラガでもできました。

2023.11.21

スペイン留学中の年越しはナポリで(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

スペインでは、大みそかの12時の鐘に合わせて12粒のぶどうを食べて1年の幸せを願う、と大学1年の時に授業で習いました。

とても楽しそうな習慣ですが、私はスペイン留学中の年末年始はイタリア旅行をしていたのでそのuvas de la suerte を食べていません。
体が2つあればいいのに、と当時日本人留学生の友達が言っていて、本当にその通りだと思いました。

イタリアでの年越しも刺激に満ちていて一生の思い出になりました。

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「スペイン留学中の年越しはナポリで」(フェイスブックの過去の日記より)

年末年始はイタリアを旅行し、ナポリで新年を迎えました。
大晦日の夜に大きな広場へ行きましたが、爆竹が鳴り響く荒々しい騒ぎに圧倒されました。
ナポリを見てから死ねという名言がありますが、ナポリで死ぬかも、と一瞬思ったほどでした。
日本の厳かな年越しと全く違うのでカルチャーショックを受けました。
1月1日の昼間にナポリの町を歩いていると10歳にもならない位の男の子が私の足元に爆竹を投げ付けてきました。
ぎゃっと叫んで飛び退いてその子供をキッと睨んだら、向こうは私にウィンクしてきました。
なんて末恐ろしい子供!
そういうこともありましたが、イタリア旅行の中でもナポリは特にワクワクすることが多く、ポンペイ遺跡やカプリ島にも行って、面白いところだったなあとずっと心に残っています。

高台までかなりの距離を歩いて行って、そこからの眺めが思わずわーっと声が出たほど素晴らしかったです。

東方の三博士の日の前夜の1月5日にはマラガにいました。その時の思い出はこの次に。

2023.11.19

スペイン留学中のクリスマスはイタリアで(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 クリスマスといえば、

育児で大忙しだった頃、「クリスマスプレゼントは何がいい?」と夫に聞かれて「独りの時間が欲しい」と切実に訴えていた時期もありました。

サンタクロースから届くプレゼントが本や図鑑の時が多く、「サンタって欲しいものくれないよね」とうちの子供たちが小さい頃に兄弟同士で話し合っていたのをそばで聞いていて面白かったです。

大学3年の時のスペイン留学中のクリスマス休暇は、本当に貴重な経験でした

★~★~★~★

 「スペイン留学中のクリスマスはイタリアで過ごしました」

グラナダ留学中のクリスマス休暇で、私はローマ、ベネチア、ナポリを観光旅行しました。
ローマにはクリスマスイブの夜に着いたのですが、お店がどこもかしこも閉まっていて驚きました。
イタリアでは、クリスマスは日本人にとってのお正月のような大切さなんだと知りました。
そしてさっそく困ったことが起こりました。
グラナダから電話で宿泊予約したはずのホテルで、予約名簿に名前がないと言われてしまったのです。
もしかして野宿することになるのかと思いましたが、ホテルの人が「大丈夫。心配しないで」というようなことを何度もイタリア語で言いながら、他の何ヵ所かのホテルに電話して空いてる部屋を探してくれました。
20数年経てば、これもクリスマスの良い思い出です。
レストランがどこも閉まっていて、小さなピザスタンドで買って立ち食いした一切れのピザが本当に美味しくて身に沁みました。
これ以上に美味しいピザはないと思いました。
今でも人生の中でいちばん美味しかった食べ物の1位か2位がこの時のピザです。
(ちなみに1位を争うのが、フランクフルトーマドリッド間のルフトハンザ航空の機内食。大学3年になる前の春休みの、初海外旅行の時でした)
あまりにも美味しくて、次の日にも行きました。
一切れの大きめのピザが残っていて、ちょうど新しいピザがガラスケースに入ったところだったのですが、最後の残りのピザを渡されました。


そっちの熱々の方がいいんですけど、と言えませんでした。
前の日に食べたピザの二倍近い大きさでした。
冷めていて全く満足感がありませんでした。冷めたピザほどつまらないものはないと思いました。
(そういえば、日本で「冷めたピザ」という言葉が話題になったことがありましたね。覚えてますか?知ってますか?)
ベネチアはとても寒かったです。ベネチアのことを思い出そうとしたら運河に停泊するゴンドラの揺れる音が今耳によみがえってきました。
振り向けばカフェがある、というくらいに町にカフェがたくさんあった記憶があります。手足がかじかんでカフェに入り、イタリア留学中の日本人学生とおしゃべりしたことが楽しい思い出です。
年越しはナポリでしました。その思い出はこの次に。

2023.11.16

スペイン留学生活最後の日(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

少し前に左膝にかなりの怪我をしてしまいました。

この傷だけで済んで本当に運が良かったと感謝すると同時に、「怪我は一瞬」と ぞっとしました。

右膝にも大きな傷跡があって、両膝にある新旧の傷が「油断禁物。一寸先は闇」と時々自分を戒めています。

右膝の古い傷は、25年以上前のグラナダ留学最後の日につくったものです。

★~★~★~★

「スペイン留学生活最後の日」(フェイスブックの過去の日記より))

日本に帰る前日に強盗に遭ってしまいました。
シエスタの時間にアルバイシンを歩いていて気が緩んでいました。
あっと思った時にはもう遅かったです。
貴重品は持っていなくてフラメンコシューズを入れた半透明のビニール袋だけを持っていたのですが、首を絞められて、向こうの方に見えたアルハンブラ宮殿がぐるんと一回転しました。
約1年間の留学生活最後の日でしたが、日本語しか出てきませんでした
たーすーけーてー!!と命がけで繰り返しました。
全身から血が噴き出しているような感覚だったのですが、立ち上がった時に怪我しているのが右膝だけだとわかり、あれ?と思いました。
友達の家に行って膝を消毒して包帯を巻いてもらい、寮まで歩いて帰りました。
二度と来るかこんな国、と思いながら歩いている途中にも血が止まらなくて包帯も緩んできて、すれ違う多くの人達が心配そうに見るだけでなく声をかけてくれました。
この近くに自分の家があるから包帯を巻き直してあげると言ってくれる人もいたり、お店の人達は″うちに入って入って″と言ってくれました。
車の運転手やバスの乗客も″おーいどうした″と声を張り上げ、文字通り四方八方から声をかけられました。
自分では痛さよりもショックの方が大きかったのですが、血をぽたぽたと流しながら歩く女の子....。
よほどすごい光景だったようです。

留学中にいつも言われていた″チニータチニータ″の声とは全く違う真剣ないたわりの声を聞き、私はずいぶん複雑な気持ちになりました。
翌日、マドリッド行きの飛行機で席が隣になったシスターが、まだ血がにじんでいる私の膝を見て、役に立つかもと言ってティッシュをくれました。
最後の最後まで優しい人に会えたと思いました。
日本に帰ってからも、後ろから急に腕をつかまれる夢を見てはっと起きることが何度かありました。
油断大敵、もう馴れたと思った時がいちばん危ないと痛い思いをして理解しました。
(私がすごく叫んだので犯人は捕まりました。)

2023.11.06

日本とスペイン、子供との接し方(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

海外駐在中に出産し、子供が小学校低学年の頃まで海外にいた友人から「うちでは、子供たちが高校生になった今でもハグもするしキスもするよ」と聞いて、へえーと驚きました。

私なんて長男の手をにぎった記憶がしっかりとあるのは幼稚園年長の初めの頃まで。

娘を乗せたベビーカーを押して次男をだっこしながら買い物袋を持ち、いつも私の両手は塞がっていたのですが、長男は淋しかったかもと今更ですが思っています。

スペイン留学中に、親子の関係について寮の子たちと話し合ったことを思い出しました。

★~★~★~★

「日本とスペイン、子供との接し方」(フェイスブックの過去の日記より)

日本では親子で抱き合ったりキスしたりしないと言ったら、スペインの寮の子達はとても驚いてました。
「ケ·フリオ....(なんてよそよそしいの)」と心から憐れむように言われました。
赤ちゃんも抱っこしないのかと聞かれた時はあまりに極端な発想なので笑いました。
今は大変な育児の時期が過ぎて私にもかなり自分の時間がありますが、あんなに抱っこしておんぶして子供と一体だったのにもうあれほどの近さで触れ合うことがないんだなと思いました。
いくらこちらがハグしたいと今になって思っても、そういう習慣が日頃からないと思春期を迎えたらもう無理ですから。
話は20年以上前のスペインの女子寮に戻ります。
親子間の信頼関係が薄いのではないかと一人の子から真顔で言われて、私は驚いて「ケ·バ!そんなことは決してない」と言いました。
そして、それぞれの親子関係、とりわけ父と娘の関係をもう少し深く話しました。
ハグしないからといって親子間の信頼関係が薄いことは決してないと言ったのですが、
「でも、痴漢に遭った場合は父には特に言わない」と私が言った時にはスペイン人の子達からなぜ言わないの?ととても驚かれ、どうしてどうして?と一斉に質問攻めされました。
「その気持ちわかる」と言ってくれた子もいましたが、その場にいた5、6人のスペイン人の子達のほとんどが「そういう目に遭ったらまずお父さんに知らせる」と断言していたことが印象的でした。
この話は自分が親になってからもちょくちょく思い出します。
ママ友にも「若い頃にそういう嫌な経験をした時には父親に話したか」と聞いてみると、恥ずかしくて言わなかった、父親とそういう話題について話す発想がそもそもなかった、という人が多いです。
親子間でも、相手に心配かけたくないと遠慮する気持ちが強いのかもしれません。
親としてはいちばん話してほしいことを、私は親に話してなかったな、ということを自分が親になってから気付きました。
自分達の家が、子供たちが何でも相談しやすい雰囲気なのかなと振り返りました。
(2019年くらいのフェイスブックの投稿)

2023.11.02

パエリアの思い出(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 久しぶりに外でパエリアを食べました。

パエリアには、いつまでも鮮明な思い出があります。

★~★~★~★

「パエリアの思い出」(フェイスブックの過去の日記より)

3番目の子供の出産予定日を1日過ぎてから病院に検診に行きました。

出産はあと2日くらいは先になるだろうと言われ、行きと帰りで30分ずつ歩いて買い物をしてから、実家で子供達と両親と一緒にお昼ご飯を食べました。

母の手作りの魚介類たっぷりのパエリアでした。

私がフラメンコとスペインに興味を持った高校生の頃から、母は私を喜ばせたい時や励ましたい時にはパエリアを作ってくれていました。

食べ始めた直後に急にお腹が痛くなりました。

まさか!

魚介類にあたったのではないかと両親が心配しました。

父が「妊婦に魚介類を食べさせるなんてなあ」とオロオロと言って母を怒らせたり、「3回目にもかかわらず腹いたと陣痛の区別もつかないのか」と言ってきました。

午前中に行ってきたばかりの病院に電話すると「魚介類にあたったのでは・・」と言われましたが、これは絶対に陣痛ですと私が言って、母の運転する車で病院に向かいました。

そんな時に限って病院のすぐ近くで道路工事があって、車が通れませんでした。

「仕方ない。最後の力を振り絞って歩きなさい」と母が言いました。

最後の力って。 これから産むんだけど。

とにかく無事に出産しました。

最初に痛みを感じた時から出産までにかかった時間は約90分。

次男はパエリアに誘われて生まれてきたので、誕生日にはパエリアを作ります。

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