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2024.10.13

なぜ左に回ることが多いのか(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

フラメンコの踊りの中ではところどころ、左方向に抜けたり、左方向に回って移動したりすることが多いと思いませんか?

それが決まりとは今までに習ったことはないのですが、圧倒的に左回りが多いのはなぜだろうと私は時々気になっていました。

ついこの間、なぜ陸上トラックは必ず左回りなのか、という話を短距離走を頑張っている次男から聞きました。

人間は左胸に心臓があるから左の方向に体を向けやすいから、とか、世の中には右利きの人が多いから右手をうまく使うためには左方向に回る方が都合が良いから、など諸説あるそうです。

実際に左回りと右回りで走ることを試した結果、左回りの方が多くの人にとって好タイムが出たので、陸上トラックは左回りがルールなのだそうです。

昔の人たちから脈々と伝わってきているフラメンコの踊りの中にも、国も時代も越えて人が動きやすいと感じる共通の動きがあるのでしょう。

2024.08.19

白黒の世界   ~切り絵~

隅々まで細かいですね。ギターさんが特に渋いです。

素敵な切り絵を作っていただきとても嬉しいです。 どうもありがとうございました!!

2023.11.02

パエリアの思い出(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 久しぶりに外でパエリアを食べました。

パエリアには、いつまでも鮮明な思い出があります。

★~★~★~★

「パエリアの思い出」(フェイスブックの過去の日記より)

3番目の子供の出産予定日を1日過ぎてから病院に検診に行きました。

出産はあと2日くらいは先になるだろうと言われ、行きと帰りで30分ずつ歩いて買い物をしてから、実家で子供達と両親と一緒にお昼ご飯を食べました。

母の手作りの魚介類たっぷりのパエリアでした。

私がフラメンコとスペインに興味を持った高校生の頃から、母は私を喜ばせたい時や励ましたい時にはパエリアを作ってくれていました。

食べ始めた直後に急にお腹が痛くなりました。

まさか!

魚介類にあたったのではないかと両親が心配しました。

父が「妊婦に魚介類を食べさせるなんてなあ」とオロオロと言って母を怒らせたり、「3回目にもかかわらず腹いたと陣痛の区別もつかないのか」と言ってきました。

午前中に行ってきたばかりの病院に電話すると「魚介類にあたったのでは・・」と言われましたが、これは絶対に陣痛ですと私が言って、母の運転する車で病院に向かいました。

そんな時に限って病院のすぐ近くで道路工事があって、車が通れませんでした。

「仕方ない。最後の力を振り絞って歩きなさい」と母が言いました。

最後の力って。 これから産むんだけど。

とにかく無事に出産しました。

最初に痛みを感じた時から出産までにかかった時間は約90分。

次男はパエリアに誘われて生まれてきたので、誕生日にはパエリアを作ります。

2023.09.14

12年前は何をしていたか(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル )

結婚して20年近く。いろいろありますわ。

うるせえ、むかつくと思った時は、私の毎日が育児一色だった頃でも、私がフラメンコから離れないようにアドバイスし続けてくれたことを思い出せば夫には感謝の気持ちがこみ上げてきます。

★~★~★~★

「12年前は何をしていたか」(フェイスブックの過去の日記より)
フラメンコ独特のリズムの12拍子は、人生と関係ある数字の12から来ている、と初めて聞いた時はすごく面白いと感動しました。
星座、時間、月、干支もそうですね。
12年前は長女をベビーカーに載せ長男を幼稚園に送り迎え。そして3人目を妊娠中。
体内のフラメンコのリズムが日に日にアンパンマンマーチに取って変わられていく焦燥感。
気持ちは焦っていてもそもそも時間がないし(トイレにすら自由に行かれない)、フラメンコの練習はおろか見もしないし聴きもしませんでした。
フラメンコを諦めることは仕方ないことだと思っていたのですが、夫から「今まで積み上げてきたものを簡単に手放したらだめだ」と言われ、これが母性と父性の違いなんだなあと思いました。
出産後も「物事が軌道に乗るまで時間がかかるから、生活が落ち着いてから行動に移すのでは遅い」と夫に言われ、次男が生後2ヶ月の頃に家でフラメンコ教室を再開しました。
レッスン前に授乳しておむつを替えて寝かしつけると、レッスン中は一度も途中で起きなくて、寝ていてくれてありがとうと毎回思いました。
育児から手が離れてきて、フラメンコがある毎日を送れて本当に幸せで感謝しています。
今年もよろしくお願いします。
(2022年新年の投稿)

2023.09.14

私にとってのオリンピック(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 来年はパリでオリンピックが開催されますね。私は密かに楽しみにしています。

★~★~★~★

「私にとってのオリンピック」(フェイスブックの過去の日記より)
スポーツが大の苦手でスポーツ観戦もしませんが、私の人生に大きな影響を与える大事なことが、不思議なことにオリンピックイヤーに起こっています。
まず始まりはバルセロナ五輪。この年にフラメンコとスペインに興味を持ち、フラメンコを習い始めました。
その次のアトランタ五輪の時は大学3年で、グラナダに1年間留学しました。
夫と知り会ったのもオリンピックの年。
結婚したのもオリンピックの年。
今のバレエ教室に初めて行ったのもオリンピックの年。今の私にとってはバレエも不可欠なものです。
もしかしてと思って自分が生まれた年を調べてみたら、これは違いました。
そして2020年。
40年以上歌うことに苦手意識を持っていた私が昨年歌に目覚めカンテを習いたいと強く思い、今年2021年、カンテを習い始めました。
バルセロナ五輪の時の十代の時と変わらず、ゼロからフラメンコを始めた気持ちでいます。

東京五輪がコロナで1年延期になって2021年に開催

2023.07.04

カンテをオンラインで習っています(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 コロナ禍真っ只中の2021年5月からオンラインでカンテを習っています。

自分のフラメンコ教室の発表会では最後にブレリアを歌って生徒さんに踊ってもらったり(私のいけにえというか巻き添えというか)しています。

オンラインレッスンがなかったらカンテの先生とはきっと出会っていませんでした。

私は一生歌わない、歌う必要もないと思っていたのですが、人生は何が起きるかわかりません。



★~★~★

「カンテを習い始めました」(フェイスブックの過去の日記より)

幼稚園の入園式の日にあることでみんなの前で先生に叱られて以来、人前で踊ったり歌うことが大嫌いになり、特に歌うことにはずっと苦手意識を持っていました。
ところが去年、コロナ禍真っ只中の状況で、不思議なことにそういう気持ちから抜け出ることができました(人の生の歌声がとりわけ心に響いたのだと思います)


善は急げ、好機は逃すなでカンテを習い始めました。
初めてのレッスンの前日に先生から歌詞が送られて来ました。
なんと、丁度その時アイロンがけをしながら聴いていた曲のまさにその歌詞!
なんという幸先の良いスタート(良い方向に思い込むことは大事)。
ついにカンテの世界に足を踏み入れちゃったと夫に言ったら、気が済むまで頑張ってと笑っていました。
悪いけど気が済む時は来ないから、と私は心の中で言いました。
マス バレ タルデ ケ ヌンカ (遅くてもやらないよりは良い)
歌う楽しさがわかってよかったです。

2022.12.07

大会に出たことありますか?(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「大会に出たことありますか?」(フェイスブックの過去の日記より)

うちの子供たちが部活で市などの大会に出たり、子供の同級生たちが県大会や全国大会に出ることになったという話を聞くと(コロナの2021年)、私は大会とかコンクールというものに無縁だったなあと考えましたが、そうそう、思い出しました。

大学2年の時にスペイン語スピーチコンテストに出ました。

お互いの違いを認めて尊重しあおう、という内容を話しました。質疑応答では質問が聞き取れなくて何回か聞き返したことを思い出しました。

結果発表の時は出場者がステージで横一列に並びました。優勝者から名前が呼ばれました。

優勝した学生とスペイン語圏の国出身の審査員たち数人がステージでハグしあっていました。

『私は外国の人とハグしたことがまだないの。ドキドキ。』

出場者5人のうち賞状をもらったのが4人で、私だけもらえませんでした。 ハグの心配、必要なし。

主催者は敗者の気持ちまで考えなかったのだろうか。 これはこれで良い経験だったと思いたい。

新学期が始まりましたが、コロナが再拡大して子供たちが練習の成果を発表したり技を競い合ったりする機会がまたなくなってしまいました。

小さな喜びをたくさん見つけて、大きな目標を諦めないでほしいです。

2022.10.04

フラメンコの難しさを知った日(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「フラメンコの難しさを知った日」(フェイスブックの過去の日記より)

先日発表会が終わりましたが、秋にも発表会をやります(2019年くらいの投稿)。
一緒に楽しい経験を積み重ねて行ける人達が周りにいるので幸せです。
育児真っ只中の時は、こういう日はもう来ないと思っていましたから。
人前で踊った経験の中で今でも思い出すと恥ずかしさのあまりうわーっと叫び頭を抱えたくなるのが、大学1年生の時の出来事。
あるお店を貸し切ったフラメンコ愛好家たちのパーティーに参加しました。
一人でタンギージョを踊ることになり自信満々だったのですが、いつも教室で聴いてる歌と違う!ギターのメロディーも違う!と、ステージで棒立ちになりました。
何分間立ってたかしら。相当立っていました。
もう、手も足も出なくて目も当てられない状態(当時を思い出してうわーっと頭抱える)。
せめて歩き回ればよかったのですが、そこまで知恵が回りませんでした。
見ている方もいたたまれなかったでしょうね。。
しかもその集まりがクリスマスパーティーで(涙)。私が空気をぶち壊しました。
着なくてもいい衣装までわざわざ着ちゃって(恥)。
暖かい目で応援してくれた人には今でも感謝でいっぱいです。今でもよく覚えております。
教室で習うことをそのまま出来るだけではフラメンコを踊れるとは言えないのだと思い知りました。
あの日から私はだいぶ謙虚になりました。
私はいまだに「タンギージョ」と言葉を聞くだけで恥ずかしくなります
フラメンコ教室エルソルではタンギージョをやりません。あしからず。

2022.08.08

運動神経がなくても(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「運動神経がなくても」(フェイスブックの過去の日記より)

私は運動神経ゼロだとは何度も書いていますが、スキーだけはよくやっていました。
中2で初めてスキーを経験した時にはこんな楽しいことがこの世にあるなんてと思いました。
スキーの楽しさを教えてくれた友達に感謝です。
中学、高校、大学生の頃は冬休みにも春休みにもよくスキーに行きました。
グラナダ留学中にはシエラネバダでもスキーしました。
これくらいやっていてもボーゲンだった、と言えば私がどれだけ人並み外れた運動神経の持ち主かわかってもらえるでしょう。
フラメンコは運動神経で踊るものではない、と私は思っています。

2022.08.06

ティエントやります(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「ティエントやります」(フェイスブックの過去の日記より)

ヨークカルチャーセンター茅ヶ崎の初級クラスはティエントを始めます。″手探り″という意味です。
みんな初めて。いよいよですね。私も楽しみです。
ティエントには特に思い入れがあります。
大学1年の時に通い始めて長男を生む臨月まで習った恩師からいちばん最初に教わったのがティエントです。
生徒となった最初の日、ティエントを習っている時に先生に「もっと恋をしなさいね」と突然言われたことを今でもはっきり覚えています。
一歩足を出しただけで、腕をひと振りしただけで、先生にはわかるんだと驚きました。
フラメンコとはそういうものなんだと知りました。
スペイン留学中でもフラメンコの先生達からそのようなことをしょっちゅう言われ、どこへ行っても誰からもseria、seriaと言われ(100円ショップではない)、よっぽど私は見るからにそういう点が足りなそうなタイプなんだなあと思いました。
フラメンコは年齢を重ねていろいろな経験をしてからがますます面白くなるもので、やりがいがあります。
生徒さんいつでも募集中です。ブランク長い方も大歓迎。

2022.08.06

ピカソはマラガ出身(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「ピカソはマラガ出身」(フェイスブックの過去の日記より)

子供たちはもうすぐ学年末試験。全教科なので暗記も大変そうです。
美術の試験勉強で、ピカソはスペイン人で、、出身地はマラガで、、と子供が言っていました。
そしてピカソの7人の愛人の名前を覚えていました。すごい!
果たしてそれが試験に出るのだろうか。幸運を祈ります。
ピカソが残した言葉はどれもシンプルで情熱的なので好きです。
″人生で大事なことはあなたにとってのギフトを見つけること、もっと大事なことはそれを周りに贈ること″
こういう風に生きたいなあと思います。
子供たちには、愛人達の名前を暗記するよりもピカソの言葉を知ってほしいなと思います。

2022.08.05

私のフラメンコ初舞台(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「私の初舞台」(フェイスブックの過去の日記より)

運動神経ゼロ、踊りの経験ゼロで私は高校2年の夏休みにフラメンコを習い始めましたが、その半年後には学校の講堂で全校生徒1200人の前でセビジャーナスを一人で踊りました。
みんなの前でフラメンコを踊らせてほしいと自分から申し出たのです。
メイク上手の同級生とヘアアレンジ上手の同級生の技によって信じられないほどに変身し、赤と黒の衣装を着て私は初舞台を踏みました。
カセットテープで踊りました。
2番が終わって間奏が流れている時に舞台を歩き回りながらカスタネットをおもむろに着けて、3番と4番はカスタネットで踊りました。
会場はとても盛り上がり、最後にポーズを決めて私がオレッと叫ぶと拍手喝采をもらいました。
めちゃくちゃ気持ちが良かったです。我ながらいい度胸してました。
その時のセビジャーナスの歌詞の内容はかなり大人の世界のものだったのですが、フラメンコギターがとてもかっこよく大好きだったのでその曲にしました。
私が通っていた学校はスペインの修道会が母体のカトリックの学校だったので(縁とは不思議なもの)、シスター達はスペイン語の歌詞の内容をおわかりだったはず。
あのセビジャーナスを聞いてシスター達は目を白黒させていたのではないかと思いますが、ずいぶん褒めて頂きました。
誰よりも内気で引っ込み思案だった私が突然あんな思いきったことが出来たのも、スペイン的な大らかな雰囲気がなんとなく学校全体にあったおかげだと思います。

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