フラメンコ教室エルソル ブログ

2022.10.13

バレエも頑張り中(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「バレエのワークショップに参加しました」(フェイスブックの過去の日記より)

フラメンコの上達が目的で始めたバレエがここ数年でとても楽しくなりました。
たとえ脚が高く上がらなくても、ジャンプが低すぎてジャンプに見えなくても、こころざしは常に高く。
ワークショップに参加して、白鳥の湖の第二幕のオデットのバリエーションを習いました。
バレエを長く習っている人にとってもオデットは別格で、″永遠の憧れ″という気持ちがあるようです。
バレエのソロの踊りって振り付けが決まってるんだ!と私がやっと理解したのはいろいろな動画を見比べるようになってからなので、実はかなり最近のこと。
時代が違っても国が違っても振り付けが同じということです(細かいことはわかりませんが)。
すごい伝統だなーと思いました。

2022.10.13

プリエの語源(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「プリエの語源について」(フェイスブックの過去の日記より)

バレエで「プリエ」とは、ひざを曲げる動きのことで、フランス語で「折る·折り曲げる」という意味です。
単なるひざ曲げ運動ではなくて、全身の筋肉を使うとても難しい動きです。
バレエは、発達したのはフランスですが、起源はイタリアなのだそうです。
バレエにはカトリックの影響がしばしば表れているそうで、プリエは「祈り」と関係があると先生が言っていたことが心にすごく残りました。
フランス語もイタリア語もわかりませんが、スペイン語では折る」が「plegar」。「祈り」が「plegaria」です。(ちなみに漢字も形が似てる!)
私の想像ですが、祈る時にひざまづくから、もしかしたら、この2つの言葉に関係が生まれたのでしょうか?
先生がさらりと言った一言がきっかけで、私はより一層気を引き締めてバレエに取り組むようになりました(小学校からカトリックの学校に行っていたからかも)。
入門者も上級者も、まずはプリエからレッスンを始めます。
最初のバーレッスンは黙々と自分と向き合う大切な時間だと思います。

2022.10.13

バレエの腕(フェイスブックの過去の日記から)

 「バレエでの、腕の位置のこと」

バレエでは、動きや体の向きなどにも、全てにフランス語で名前が付いています。
その細かさに初めはびっくりしました。

腕の位置にも名前が付いているのですが、「下に」、「前に」、「上に」というように前置詞が付いています。
フランス語は勉強したことがないのですが、バレエ用語の日本語訳を読むと、なぜ「~に」で終わっているのだろうと以前から思っていました。

単に、下·前·上と腕の置き場所を言っているのではなくて、「~に」に続く言葉は、「空気を押す」のだと習いました。
静止しているように見える時でも、体の中では、エネルギーがずっと流れ続けているということだと思います。
型を真似するだけでも大変なことですが、表面上のことに留まってはいけないということですね。
フラメンコでも、空気の抵抗を感じると、フラメンコらしい力強さや重みが表現出来ると思います。

2022.10.13

はだしのフラメンコ教室(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「以前、靴を履かないフラメンコ教室をやっていました」(フェイスブックの過去の日記より)

長男が小学生、真ん中が幼稚園生になった頃にいちばん下の子供が離乳食を食べ始めたので、末っ子を実家に預けて週1回1時間スタジオを借りて靴を履かないフラメンコ教室を開きました。
足の裏を鍛えるとフラメンコに絶対にいい、踊りの上達だけでなく健康にも全てに絶対にいい、とバレエとピラティスを通して実感していたからです。
靴を履かなければスタジオも借りやすいですし、靴を用意する必要がなければ気軽に始めてもらいやすいかなと思いました。
家からも幼稚園からも近いスタジオを借りました。毎週水曜日の10時から1時間だけ。
しかしながら、看板出して約2年間、生徒さんゼロ。一人で自主練してました。
育児から離れて集中してフラメンコを練習出来る唯一の時間だったので、今思えば無駄でなかったなと思います。
あの時細々とでも練習し続けていて良かった、というのが今の気持ちです。

2022.10.13

バレエも好き(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「バレエを観に行きました」(フェイスブックの過去の日記より)

先日、バレエの公演を観に行きました。
フラメンコを観る場合はなるべく近くで、かぶり付きで観たいくらいですが、バレエの場合は舞台を額縁に見立てて、絵を見るように少し遠くから観たいなあと思います。
以前バレエの先生から「もっと空にも絵を描いて!」と注意されました。
私は全然ジャンプが出来ないのですが、その言葉を思い出すと、バレエを踊る時の意識の持ち方が分かりやすいです。
高いジャンプは見るだけでストレス発散、心が浄化されます。

ちなみにバレエダンサーは”空中にいる間に休んでいる”と聞いた時は衝撃でした。
地面を踏んで蹴る時がいちばんエネルギーを使うのですね。

2022.10.12

寮生活が始まって間もない頃の失敗(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「寮生活始まって間もない頃の失敗」(フェイスブックの過去の日記より)
住んでいた女子寮では、私は100人のスペイン人女子大生の中で唯一の外国人でした。
安全面もとてもしっかりした寮で、授業などから帰った時にガラスがはめ込まれた鉄格子の扉の前に立つと、門番の人が顔を確認してから扉を開けてくれました。
夜中は更に、鉄板が張られた重厚な扉がいちばん外側に閉められ、二重の扉で守られました。
その寮に入れば両親も安心すると思って、私は高校生の時からそこに入ることを目指していました。
寮生活が始まりまだ間もない日曜日に、早朝のバスに乗ってセビージャまで日帰り旅行をしようと考えました。
早起きして、みんなが寝静まっている寮の廊下を通りホールまで来て、鉄格子を開けて鉄板の扉を自分で開けようとしました。
いちばん外側の鉄の扉が開きません。
「ああそうか、寮には朝も門限があるんだ」とやっとその時気付きました。
うっかりしてたなーと思い部屋に戻ろうとしたら、背後でガチャンという音が・・・。
鉄格子の扉が自然に閉まってしまい、私は2枚の扉の間に取り残されてしまいました。
オイガ~(聞いて~、すみませんが~)と大きな声を出しても、部屋は上の階なので誰も起きてくる気配がありません。
こんなところを誰かに見られたら物笑いの種だと思って1時間近くへたり込んでいたら、いちばん早く起きてきたお年寄りのシスターが驚いて鉄格子を開けてくれました。
ああ、最初に起きてきたのがシスターで良かった、とその時思いました。
計画していたセビージャ行きのバスにも乗れなかったしもう出掛けるのはやめようと思いましたが、シスターが鉄の扉を大きく開けて「ブエン·ビアヘ!(良い旅を!)」と元気に言いました。
部屋に戻って寝るとは言い出せなくなってしまい、シスターに見送られながら、行くあてもなく、とりあえず外に出たのでした。
その時はもう遠出をする気分ではなかったので、近くの町のグアディクスにバスで行ってみました。
グアディクス、グアダラハラ、グアダルキビル等々、このような地名や川の名前はアラビア語の「川」に由来しているそうです。
グアディクスでは大聖堂前の広場の蚤の市を見て、ガイドブックでも有名な洞穴住居を外から見て回りました。
1時間位歩いたら、もう飽きてしまうようなところでした。
刺激満載なだけではなく、うら寂しいこんな風情もアンダルシアなんだなと思いました。
寮に戻ると、早朝の出来事が寮全体に知られていて(あのシスターかっ!)、更には、私がグアディクスをぶらぶら歩いていたという目撃情報も既に寮に届いていたことには辟易しました。
寮では良くも悪くも目立ってしまい、一挙一動に注目されて、知られたくないちょっとしたヘマもすぐ知れ渡り、一時は帰宅恐怖症にもなり、大変なこともかなり多かったです。

2022.10.10

寮での大切な行事(フェイスブックの過去の日記から)

「 寮の始業式と修了式の思い出」


グラナダ大学付属の外国人コースで勉強している時に住んでいた女子寮の100人の寮生は、皆グラナダ大学の大学生でした。スペインのいろいろな地域から集まっていましたが、アンダルシア出身者が7割くらいだったと思います。

寮では10月に始業式、5月に終了式がありました。
寮生活が始まってからまだ日が浅い頃、「始業式ではおしゃれするんだよー」と寮の子たちから言われ、とりあえずエル・コルテ・イングレス(スペイン各地にあるデパート)まで服を買いに行きました。
始業式が始まるのは夕方からだったのですが、その日は昼食が終わるとみんな自分の部屋に引っ込んで支度をしました。寮の廊下は信じられないほど静まり返っていました。
そして始業式が始まる時間、食堂に集まったみんなを見てあっと息をのみました。
普段と全く雰囲気が違っていて、1年生たちもめいっぱい大人っぽくゴージャスに見せようとしていてとても綺麗でした。
上級生達はもういっぱしのマダムで迫力の美しさでした。
黒いロングドレスの子が多くて圧倒されました。褐色の肌にとてもよく似合っていました。
茶色いワンピースの自分がずいぶん幼く思えました。
(スペイン人の女子大生のいつもの通学の服装は、質素で真面目でした。スカートで通学する子は寮では一人も見ませんでした。当時の日本の女子大生の恰好と比べて驚きました。
彼女たちの普段の恰好で印象的だったことは、一粒の真珠のピアスと、十字架のネックレスやイエス様やマリア様が彫られているネックレスをいつも身に着けていたことです。)
ミサと式の後は食堂で立食パーティーでした。その日は、家族以外の男子も許可をもらっていれば寮に入ることが出来ました。
5月の修了式に向けては、寮の子たちはテラスで日焼けに励んでいました。
なぜ日焼けするの?と聞いたら「日焼けした方が美人に見えるから。当然でしょ」と言っていました。
シミは心配でないのかと聞いたら、そうなったらその時に考えると言っていました。
(今ではスペインでも日焼けに対する考え方が変わっているかもしれませんね。)
フラメンコの歌詞でも「モレーナ(浅黒い肌の、日焼けした)」は頻出単語ですね。
好きな女性をモレーナと呼び掛けたり、浅黒いユリよ・・と言ったり。
ちなみに「アンダルシアで一番美人が多い土地はコルドバ、そして、一番かっこいい人が多い土地はグラナダ」と寮生たちが言っていました。
秋の始業式ではシックな黒いロングドレスが多かったけれど、ほとんど夏の気候の修了式の時にはみんな色とりどりのドレスやスーツ、ワンピースを着ていました。
修了式の食事会は中庭で行われました。
中庭の中央にはマリア様の像があり、オレンジの木には白い花が咲いていました。
オレンジの花はマリア様の象徴なのだそうです。
修了式のあった5月はかなり遅い時間まで空が明るかった記憶があります。
始業式の時も修了式の時も、その後はディスコを貸し切ったパーティー。
ここからが本番らしく、これがまた凄いのなんのって。
わりとおとなしく地味めなタイプの子たちでも週末の夜には普通に踊りに行くので、そういうナイトライフとは無縁の私には衝撃的でした。
私にとっていちばん苦手なことは、はしゃぐことと踊ること。
この先、もう決して経験しないだろう貴重な経験をしました。

2022.10.08

グラナダ大学の講堂で踊った時のこと(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「グラナダ大学の講堂で踊った時のこと」(フェイスブックの過去の日記より)

グラナダ大学付属の外国人コースに留学していた時に、グラナダ大学の講堂でフラメンコをひとりで踊る機会に恵まれました。

学生有志による文化活動発表会のようなもので、毎年(たしか3月後半)開催しているようでした。

出てみる?と言われ、出る!と二つ返事で答えました。

自分の国ではプロのフラメンコギタリストとして活動しているアメリカ人学生が運よく外国人コースにいたので、一緒に参加してくれるよう頼みました。パルマ(手拍子)はフラメンコの先生にお願いしました。

私はフラメンコに関してだけは度胸があるつもりですが、本番前日はあまりの緊張で食事の時にフォークを持つ手も震え、寮生達に驚かれました。
日本では緊張をほぐすために、手の平に「人」という字を3回書いて呑み込む真似をするおまじないがある、と説明しました
緊張をほぐすためのおまじないはスペインにあるのかと聞いたら「無い」と言っていました。

目の前にいる人の反応を気にするのは、日本人ならではでしょうか。

恥ずかしがりやの国民性も関係するかもしれません。

(スペイン人は胸の前で十字を切る仕草はするかもしれませんね)

そして当日。グラナダ大学の立派な講堂は、何百人入っていたのかわかりませんが満員でした。

扇子を持って、グアヒーラという曲を踊りました。

沢山の声援と拍手をもらいました。

参加の記念に、トマス・アクィナスの分厚い立派な本を教授からステージ上で頂きました。

(その本は、かなり長いこと私の部屋に大事にうやうやしく飾られていました)

自分のことでいっぱいいっぱいで、自分の出番が終わったらもう満足感でいっぱいで、他の参加者たちのことは何も覚えていないのですが、トゥナのグループ(伝統的な学生たちの音楽隊)が出演時間にいなくて遅れてきたので演奏できなかったことだけよく覚えています(誰の責任だったのかわかりませんが)。

誰かが気付けばよかったのですが、彼らの残念そうな顔を見てかわいそうに思いました。

この日の経験は、あー思い切ってやって良かった、といまだに何度も思い返します。

心臓に毛が生えていましたね。そのおかげで最高の経験をしました。

貴重な経験が出来て、スペイン人たちの大らかさに本当に感謝しています。

2022.10.08

スペイン留学前の大ピンチ(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「スペイン留学前の大ピンチ」(フェイスブックの過去の日記より)

日本の大学では、スペイン語スペイン文学を専攻していました。

グラナダ大学附属の外国人コース(セントロ·デ·レングアス·モデルナス)への留学希望が受理され、夏からのスペイン留学に向けて、3年生に進級してから一層勉強とフラメンコに頑張っていました。

私は成績優秀でそのうえ品行方正だったので、返金不要の奨学金をもらえることになりました(自慢ですけど)。

学するならそこに住みたいと高校生の時からずっと決めていたグラナダの女子寮にも入れることになりました。

5月末か6月初めに教授と廊下ですれ違った時、「きょうかしょ届いた?」と聞かれました。

「教科書?まだなんですけど」と答えたところ、

「教科書でなくて許·可·書!自分で入学許可書を取り寄せるのよ!7月初めの教授会に間に合わないといけないのよ!」とおっしゃるではありませんか。

「そ、その手続き、自分でやるんだったんでしたか!」

私は言われたことが信じられなくてそれ以上声も出ず、教授は呆れて開いた口が塞がらない、という様子でした。

夏休みの間はグラナダにある私立の語学学校に通う計画で、そちらの手続きは自分でやることと理解していたので自分で進めていたのですが、グラナダ大学の手続きについてはてっきり大学側がやってくれるものだと・・・。

メールが一般的でなかったのでグラナダ大学にファックスで書類請求しました。意外とすぐに書類が届いたのでほっとしたのですが、、全てフランス語で書かれた書類でした。日本人留学生に対してなのに。なんていい加減。

さすがグラナダ、愛すべきグラナダ、と感心している場合ではなく怒っている暇もありません。

書類請求したらフランス語の書類が届きましたと教授に報告すると、やっぱりいい加減ねと笑いながらおっしゃいました。そして教授にそのフランス語の書類への記入の仕方を教えてもらって、グラナダ大学へ返送しました。

その他にどういう手続きをしたのか全く覚えていないのですが、スペイン大使館へ行ったり銀行へ行ったりてんやわんやでした。

とにかく驚異的なスピードで準備を完了させ、夏休みに入ったと同時にスペインへと飛び出しました。

2022.10.08

目は口ほどに・・(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

(ヨーロッパではコロナ禍でもマスクの着用を嫌がる人が多いと聞き、そういえばと思い当たることを書いた、コロナ禍の2021年頃の投稿)

「目は口ほどに···」(フェイスブックの過去の日記より)

ヨーロッパの人たちにとってマスクは身近なものでないようですね。

グラナダの女子寮のことを思い出しました。
寮の新入生歓迎会は、新入生が必ず受けなければならない試練でした。
歓迎会では、新入生は上級生達の前でたった1人で歌ったり踊ったり何か一つ芸をやらないとなりませんでした(私はセビジャーナスを踊りました)。
歓迎会会場の寮の広い玄関ホールに行くと、黒ずくめの服を着た上級生達が更にサングラスをかけてスカーフ等で口許を隠し、あぐらをかいて車座で新入生を待ち構えていました。
今思い出してもゾッとします。
上級生たちはわざと最初は無反応でシーンとしていて、その真ん中に新入生が1人ずつ出て行って、冷え切った雰囲気の中で、歌ったり踊ったりし始めるのです。
(でも後半は、上級生たちも意地悪なお芝居をやめて一気に盛り上げるという決まった流れがありました。そして毎回最初の空気に戻るのです)
上級生達もこの恥ずかしさを過去に経験済みなので、新入生に同情してくれる人はスカーフからこっそり口を見せてニコッとしてくれました。
サングラスの方が迫力あって怖いんですけど!と私は思っていました。
「目は口ほどにものを言う」の文化との違いかなと思いました。

カレンダー

«9月»
 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30     

ブログ内検索

フィード