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2022.10.19

オペラ映画のカルメン観ました(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「オペラ映画のカルメン(1984年)を観ました」(フェイスブックの過去の日記より)

プラシド·ドミンゴがホセ役の「カルメン」を観ました。
三大テノールのお顔もお名前もお声も一致しない私ですが、このオペラ映画のどのシーンも好きで、どの曲にも心が揺さぶられます。
そして、この映画の振り付けが、あのアントニオ·ガデス!
ちらっとしか出ないけれど、この存在感ある人はいったい誰?と思ったら、それはエンリケ·エル·コホ。
宮廷ダンサー役の人の気品溢れる踊り(ほんの数十秒間)に見とれていたら、それはクリスティーナ·オヨス。
他にも、フラメンコ好きな人だったら目が釘付けになるようなシーンがたくさんあります。
アンダルシアで撮影された映像も、とても美しいです。

2022.10.15

グラナダの寮の思い出(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「グラナダの女子寮の門限の話」(フェイスブックの過去の日記より)
私が1年間過ごした女子寮は比較的門限が厳しかったのですが、月曜~木曜が22時、金曜が午前1時、土曜が午前3時、日曜が12時だったので私はとても驚きました。
金土日は22時にいったん門が閉まった後は00分にだけ門を開けてもらえるので、そのタイミングに間に合わなかったら1時間後の次の開門まで待ちました。
私が留学した年はちょうど土曜日の門限が1時間遅くなった年で、「長い間交渉し続けていたのよ」と上級生たちが喜んでいました。
私がグラナダに留学している間、日本にいる母は、スペインが昼の時間帯だと私が無事でいるか心配で夜眠れなかったそうです。そして私が寮で寝ているであろう夜の時間帯に安心して寝ていたそうです。
娘がそんな遅い時間まで外国の町を歩いていたとは、母は夢にも思わなかったでしょう。

私が帰国してから暫くの間は、母は昼間にウトウトしていたので、習慣で夜に眠れなくなってしまったのだろうと申し訳なく思いました。そして、そんなに心配なのに留学させてくれてとても有り難く思いました。

2022.10.13

年末はドン・キホーテ(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「昨年末はドン·キホーテ」(フェイスブックの過去の日記より)

こう書くとドン·キホーテで買い出ししたみたいですね。
違います。
バレエのワークショップに参加し、ドン·キホーテのドゥルシネア姫のバリエーションを習いました。
バレエ版ドン·キホーテはとっても楽しい喜劇で、舞台はバルセロナ。
セルバンテスの原作では、ドン·キホーテはバルセロナの地である騎士との決闘に敗れラ·マンチャに帰り、そして病死してしまいます。
死ぬ時になって彼は正気に戻り、アロンソ·キハーノとしてこの世を去ります。
自分だったらドン·キホーテのままで死にたいなあと思いますが、どちらが幸せなのでしょうか。
それはともかくとして、バレエのワークショップはとても楽しかったです。

2022.10.13

鎌倉の伝説のバレエ学校(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「鎌倉の伝説のバレエ学校」

鎌倉は日本におけるバレエの発祥の地なのだそうで、七里ヶ浜のパヴロバ·バレエスクールが日本の最初のバレエ学校だったそうです。
パヴロバ邸といえば、私が小学校1、2年生の頃、学校帰りにパヴロバ邸の屋上でヌード撮影をしているところをたまたま見て、オオーッととても驚いて友達と大はしゃぎしたという、バレエと無関係の楽しい思い出があります。
その時はバレエ学校は既に閉校していて建物は老朽化が進んでいたのですが、青い空と海をバックに写真を撮ったら地中海のどこかの国みたいに綺麗だったのではないかなと思います。
その写真見てみたいです。

2022.10.13

バレエも頑張り中(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「バレエのワークショップに参加しました」(フェイスブックの過去の日記より)

フラメンコの上達が目的で始めたバレエがここ数年でとても楽しくなりました。
たとえ脚が高く上がらなくても、ジャンプが低すぎてジャンプに見えなくても、こころざしは常に高く。
ワークショップに参加して、白鳥の湖の第二幕のオデットのバリエーションを習いました。
バレエを長く習っている人にとってもオデットは別格で、″永遠の憧れ″という気持ちがあるようです。
バレエのソロの踊りって振り付けが決まってるんだ!と私がやっと理解したのはいろいろな動画を見比べるようになってからなので、実はかなり最近のこと。
時代が違っても国が違っても振り付けが同じということです(細かいことはわかりませんが)。
すごい伝統だなーと思いました。

2022.10.13

プリエの語源(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「プリエの語源について」(フェイスブックの過去の日記より)

バレエで「プリエ」とは、ひざを曲げる動きのことで、フランス語で「折る·折り曲げる」という意味です。
単なるひざ曲げ運動ではなくて、全身の筋肉を使うとても難しい動きです。
バレエは、発達したのはフランスですが、起源はイタリアなのだそうです。
バレエにはカトリックの影響がしばしば表れているそうで、プリエは「祈り」と関係があると先生が言っていたことが心にすごく残りました。
フランス語もイタリア語もわかりませんが、スペイン語では折る」が「plegar」。「祈り」が「plegaria」です。(ちなみに漢字も形が似てる!)
私の想像ですが、祈る時にひざまづくから、もしかしたら、この2つの言葉に関係が生まれたのでしょうか?
先生がさらりと言った一言がきっかけで、私はより一層気を引き締めてバレエに取り組むようになりました(小学校からカトリックの学校に行っていたからかも)。
入門者も上級者も、まずはプリエからレッスンを始めます。
最初のバーレッスンは黙々と自分と向き合う大切な時間だと思います。

2022.10.13

バレエの腕(フェイスブックの過去の日記から)

 「バレエでの、腕の位置のこと」

バレエでは、動きや体の向きなどにも、全てにフランス語で名前が付いています。
その細かさに初めはびっくりしました。

腕の位置にも名前が付いているのですが、「下に」、「前に」、「上に」というように前置詞が付いています。
フランス語は勉強したことがないのですが、バレエ用語の日本語訳を読むと、なぜ「~に」で終わっているのだろうと以前から思っていました。

単に、下·前·上と腕の置き場所を言っているのではなくて、「~に」に続く言葉は、「空気を押す」のだと習いました。
静止しているように見える時でも、体の中では、エネルギーがずっと流れ続けているということだと思います。
型を真似するだけでも大変なことですが、表面上のことに留まってはいけないということですね。
フラメンコでも、空気の抵抗を感じると、フラメンコらしい力強さや重みが表現出来ると思います。

2022.10.13

はだしのフラメンコ教室(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「以前、靴を履かないフラメンコ教室をやっていました」(フェイスブックの過去の日記より)

長男が小学生、真ん中が幼稚園生になった頃にいちばん下の子供が離乳食を食べ始めたので、末っ子を実家に預けて週1回1時間スタジオを借りて靴を履かないフラメンコ教室を開きました。
足の裏を鍛えるとフラメンコに絶対にいい、踊りの上達だけでなく健康にも全てに絶対にいい、とバレエとピラティスを通して実感していたからです。
靴を履かなければスタジオも借りやすいですし、靴を用意する必要がなければ気軽に始めてもらいやすいかなと思いました。
家からも幼稚園からも近いスタジオを借りました。毎週水曜日の10時から1時間だけ。
しかしながら、看板出して約2年間、生徒さんゼロ。一人で自主練してました。
育児から離れて集中してフラメンコを練習出来る唯一の時間だったので、今思えば無駄でなかったなと思います。
あの時細々とでも練習し続けていて良かった、というのが今の気持ちです。

2022.10.13

バレエも好き(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「バレエを観に行きました」(フェイスブックの過去の日記より)

先日、バレエの公演を観に行きました。
フラメンコを観る場合はなるべく近くで、かぶり付きで観たいくらいですが、バレエの場合は舞台を額縁に見立てて、絵を見るように少し遠くから観たいなあと思います。
以前バレエの先生から「もっと空にも絵を描いて!」と注意されました。
私は全然ジャンプが出来ないのですが、その言葉を思い出すと、バレエを踊る時の意識の持ち方が分かりやすいです。
高いジャンプは見るだけでストレス発散、心が浄化されます。

ちなみにバレエダンサーは”空中にいる間に休んでいる”と聞いた時は衝撃でした。
地面を踏んで蹴る時がいちばんエネルギーを使うのですね。

2022.10.12

寮生活が始まって間もない頃の失敗(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「寮生活始まって間もない頃の失敗」(フェイスブックの過去の日記より)
住んでいた女子寮では、私は100人のスペイン人女子大生の中で唯一の外国人でした。
安全面もとてもしっかりした寮で、授業などから帰った時にガラスがはめ込まれた鉄格子の扉の前に立つと、門番の人が顔を確認してから扉を開けてくれました。
夜中は更に、鉄板が張られた重厚な扉がいちばん外側に閉められ、二重の扉で守られました。
その寮に入れば両親も安心すると思って、私は高校生の時からそこに入ることを目指していました。
寮生活が始まりまだ間もない日曜日に、早朝のバスに乗ってセビージャまで日帰り旅行をしようと考えました。
早起きして、みんなが寝静まっている寮の廊下を通りホールまで来て、鉄格子を開けて鉄板の扉を自分で開けようとしました。
いちばん外側の鉄の扉が開きません。
「ああそうか、寮には朝も門限があるんだ」とやっとその時気付きました。
うっかりしてたなーと思い部屋に戻ろうとしたら、背後でガチャンという音が・・・。
鉄格子の扉が自然に閉まってしまい、私は2枚の扉の間に取り残されてしまいました。
オイガ~(聞いて~、すみませんが~)と大きな声を出しても、部屋は上の階なので誰も起きてくる気配がありません。
こんなところを誰かに見られたら物笑いの種だと思って1時間近くへたり込んでいたら、いちばん早く起きてきたお年寄りのシスターが驚いて鉄格子を開けてくれました。
ああ、最初に起きてきたのがシスターで良かった、とその時思いました。
計画していたセビージャ行きのバスにも乗れなかったしもう出掛けるのはやめようと思いましたが、シスターが鉄の扉を大きく開けて「ブエン·ビアヘ!(良い旅を!)」と元気に言いました。
部屋に戻って寝るとは言い出せなくなってしまい、シスターに見送られながら、行くあてもなく、とりあえず外に出たのでした。
その時はもう遠出をする気分ではなかったので、近くの町のグアディクスにバスで行ってみました。
グアディクス、グアダラハラ、グアダルキビル等々、このような地名や川の名前はアラビア語の「川」に由来しているそうです。
グアディクスでは大聖堂前の広場の蚤の市を見て、ガイドブックでも有名な洞穴住居を外から見て回りました。
1時間位歩いたら、もう飽きてしまうようなところでした。
刺激満載なだけではなく、うら寂しいこんな風情もアンダルシアなんだなと思いました。
寮に戻ると、早朝の出来事が寮全体に知られていて(あのシスターかっ!)、更には、私がグアディクスをぶらぶら歩いていたという目撃情報も既に寮に届いていたことには辟易しました。
寮では良くも悪くも目立つのは当然で一挙一動に注目されてしまい、知られたくないちょっとしたヘマもすぐ知れ渡り、一時は帰宅恐怖症にもなり、大変なこともかなり多かったです。

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