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2022年10月
2022.10.19
ファリャのはかなき人生(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)
「ファリャ はかなき人生」(フェイスブックの過去の日記より)
生徒さんのバイオリン演奏を聴きに行きました。
エレガントなドレス姿が新鮮でした。
どの曲も素晴らしかったのですが、特に感動したのがファリャ作曲のスペイン舞曲でした。
それがきっかけで、ファリャのオペラ「はかなき人生」を動画でいくつか見てみました。
裕福なスペイン人パコを愛したアルバイシンに住むロマの娘サルーの悲しい話です。
はじめは第2幕のフラメンコ的なダンスの場面をつまみ食いするように見ていたのですが、スペイン人オペラ歌手のアイノア アルテータさんが演じるサルーを見た時には思わず感情移入して、私もサルーと共に泣きパコを呪いました。
話はバイオリン演奏の時に戻ります。
スペイン舞曲の演奏が終わると客席から感嘆のため息が漏れ、大きな拍手が起こりました。
胸が熱くなるような演奏で、私もこのくらいフラメンコを踊りきりたいと思いました。
2022.10.19
題名の方が心に残る映画(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)
「死ぬまでにしたい10のこと というスペイン映画」(フェイスブックの過去の日記より)
長男が赤ちゃんの頃に「死ぬまでにしたい10のこと」というスペイン映画を見て、自分が絶対やりたいことは何だろうと考えました。
「毎日絵本の読み聞かせをする」
「毎日赤ちゃんマッサージをする」
それに加えて
「本鵠沼駅周辺のお店のケーキを全種類食べる」
この行動範囲の狭さ!
当時はフラメンコに関することは挙げませんでした。そもそも自分の時間がなかったですし。
今だったらどんな10個になるだろうか。
2022.10.19
オペラ映画のカルメン観ました(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)
「オペラ映画のカルメン(1984年)を観ました」(フェイスブックの過去の日記より)
プラシド·ドミンゴがホセ役の「カルメン」を観ました。
三大テノールのお顔もお名前もお声も一致しない私ですが、このオペラ映画のどのシーンも好きで、どの曲にも心が揺さぶられます。
そして、この映画の振り付けが、あのアントニオ·ガデス!
ちらっとしか出ないけれど、この存在感ある人はいったい誰?と思ったら、それはエンリケ·エル·コホ。
宮廷ダンサー役の人の気品溢れる踊り(ほんの数十秒間)に見とれていたら、それはクリスティーナ·オヨス。
他にも、フラメンコ好きな人だったら目が釘付けになるようなシーンがたくさんあります。
アンダルシアで撮影された映像も、とても美しいです。
2022.10.15
グラナダの寮の思い出(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)
「グラナダの女子寮の門限の話」(フェイスブックの過去の日記より)
私が1年間過ごした女子寮は比較的門限が厳しかったのですが、月曜~木曜が22時、金曜が午前1時、土曜が午前3時、日曜が12時だったので私はとても驚きました。
金土日は22時にいったん門が閉まった後は00分にだけ門を開けてもらえるので、そのタイミングに間に合わなかったら1時間後の次の開門まで待ちました。
私が留学した年はちょうど土曜日の門限が1時間遅くなった年で、「長い間交渉し続けていたのよ」と上級生たちが喜んでいました。
私がグラナダに留学している間、日本にいる母は、スペインが昼の時間帯だと私が無事でいるか心配で夜眠れなかったそうです。そして私が寮で寝ているであろう夜の時間帯に安心して寝ていたそうです。
娘がそんな遅い時間まで外国の町を歩いていたとは、母は夢にも思わなかったでしょう。
私が帰国してから暫くの間は、母は昼間にウトウトしていたので、習慣で夜に眠れなくなってしまったのだろうと申し訳なく思いました。そして、そんなに心配なのに留学させてくれてとても有り難く思いました。
2022.10.13
年末はドン・キホーテ(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)
「昨年末はドン·キホーテ」(フェイスブックの過去の日記より)
こう書くとドン·キホーテで買い出ししたみたいですね。
違います。
バレエのワークショップに参加し、ドン·キホーテのドゥルシネア姫のバリエーションを習いました。
バレエ版ドン·キホーテはとっても楽しい喜劇で、舞台はバルセロナ。
セルバンテスの原作では、ドン·キホーテはバルセロナの地である騎士との決闘に敗れラ·マンチャに帰り、そして病死してしまいます。
死ぬ時になって彼は正気に戻り、アロンソ·キハーノとしてこの世を去ります。
自分だったらドン·キホーテのままで死にたいなあと思いますが、どちらが幸せなのでしょうか。
それはともかくとして、バレエのワークショップはとても楽しかったです。
2022.10.13
鎌倉の伝説のバレエ学校(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)
「鎌倉の伝説のバレエ学校」
鎌倉は日本におけるバレエの発祥の地なのだそうで、七里ヶ浜のパヴロバ·バレエスクールが日本の最初のバレエ学校だったそうです。
パヴロバ邸といえば、私が小学校1、2年生の頃、学校帰りにパヴロバ邸の屋上でヌード撮影をしているところをたまたま見て、オオーッととても驚いて友達と大はしゃぎしたという、バレエと無関係の楽しい思い出があります。
その時はバレエ学校は既に閉校していて建物は老朽化が進んでいたのですが、青い空と海をバックに写真を撮ったら地中海のどこかの国みたいに綺麗だったのではないかなと思います。
その写真見てみたいです。
2022.10.13
バレエも頑張り中(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)
「バレエのワークショップに参加しました」(フェイスブックの過去の日記より)
フラメンコの上達が目的で始めたバレエがここ数年でとても楽しくなりました。
たとえ脚が高く上がらなくても、ジャンプが低すぎてジャンプに見えなくても、こころざしは常に高く。
ワークショップに参加して、白鳥の湖の第二幕のオデットのバリエーションを習いました。
バレエを長く習っている人にとってもオデットは別格で、″永遠の憧れ″という気持ちがあるようです。
バレエのソロの踊りって振り付けが決まってるんだ!と私がやっと理解したのはいろいろな動画を見比べるようになってからなので、実はかなり最近のこと。
時代が違っても国が違っても振り付けが同じということです(細かいことはわかりませんが)。
すごい伝統だなーと思いました。
2022.10.13
プリエの語源(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)
「プリエの語源について」(フェイスブックの過去の日記より)
バレエで「プリエ」とは、ひざを曲げる動きのことで、フランス語で「折る·折り曲げる」という意味です。
単なるひざ曲げ運動ではなくて、全身の筋肉を使うとても難しい動きです。
バレエは、発達したのはフランスですが、起源はイタリアなのだそうです。
バレエにはカトリックの影響がしばしば表れているそうで、プリエは「祈り」と関係があると先生が言っていたことが心にすごく残りました。
フランス語もイタリア語もわかりませんが、スペイン語では折る」が「plegar」。「祈り」が「plegaria」です。(ちなみに漢字も形が似てる!)
私の想像ですが、祈る時にひざまづくから、もしかしたら、この2つの言葉に関係が生まれたのでしょうか?
先生がさらりと言った一言がきっかけで、私はより一層気を引き締めてバレエに取り組むようになりました(小学校からカトリックの学校に行っていたからかも)。
入門者も上級者も、まずはプリエからレッスンを始めます。
最初のバーレッスンは黙々と自分と向き合う大切な時間だと思います。
2022.10.13
バレエの腕(フェイスブックの過去の日記から)
「バレエでの、腕の位置のこと」
バレエでは、動きや体の向きなどにも、全てにフランス語で名前が付いています。
その細かさに初めはびっくりしました。
腕の位置にも名前が付いているのですが、「下に」、「前に」、「上に」というように前置詞が付いています。
フランス語は勉強したことがないのですが、バレエ用語の日本語訳を読むと、なぜ「~に」で終わっているのだろうと以前から思っていました。
単に、下·前·上と腕の置き場所を言っているのではなくて、「~に」に続く言葉は、「空気を押す」のだと習いました。
静止しているように見える時でも、体の中では、エネルギーがずっと流れ続けているということだと思います。
型を真似するだけでも大変なことですが、表面上のことに留まってはいけないということですね。
フラメンコでも、空気の抵抗を感じると、フラメンコらしい力強さや重みが表現出来ると思います。
2022.10.13
はだしのフラメンコ教室(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)
「以前、靴を履かないフラメンコ教室をやっていました」(フェイスブックの過去の日記より)
長男が小学生、真ん中が幼稚園生になった頃にいちばん下の子供が離乳食を食べ始めたので、末っ子を実家に預けて週1回1時間スタジオを借りて靴を履かないフラメンコ教室を開きました。
足の裏を鍛えるとフラメンコに絶対にいい、踊りの上達だけでなく健康にも全てに絶対にいい、とバレエとピラティスを通して実感していたからです。
靴を履かなければスタジオも借りやすいですし、靴を用意する必要がなければ気軽に始めてもらいやすいかなと思いました。
家からも幼稚園からも近いスタジオを借りました。毎週水曜日の10時から1時間だけ。
しかしながら、看板出して約2年間、生徒さんゼロ。一人で自主練してました。
育児から離れて集中してフラメンコを練習出来る唯一の時間だったので、今思えば無駄でなかったなと思います。
あの時細々とでも練習し続けていて良かった、というのが今の気持ちです。