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2022年10月

2022.10.13

バレエも好き(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「バレエを観に行きました」(フェイスブックの過去の日記より)

先日、バレエの公演を観に行きました。
フラメンコを観る場合はなるべく近くで、かぶり付きで観たいくらいですが、バレエの場合は舞台を額縁に見立てて、絵を見るように少し遠くから観たいなあと思います。
以前バレエの先生から「もっと空にも絵を描いて!」と注意されました。
私は全然ジャンプが出来ないのですが、その言葉を思い出すと、バレエを踊る時の意識の持ち方が分かりやすいです。
高いジャンプは見るだけでストレス発散、心が浄化されます。

ちなみにバレエダンサーは”空中にいる間に休んでいる”と聞いた時は衝撃でした。
地面を踏んで蹴る時がいちばんエネルギーを使うのですね。

2022.10.12

寮生活が始まって間もない頃の失敗(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「寮生活始まって間もない頃の失敗」(フェイスブックの過去の日記より)
住んでいた女子寮では、私は100人のスペイン人女子大生の中で唯一の外国人でした。
安全面もとてもしっかりした寮で、授業などから帰った時にガラスがはめ込まれた鉄格子の扉の前に立つと、門番の人が顔を確認してから扉を開けてくれました。
夜中は更に、鉄板が張られた重厚な扉がいちばん外側に閉められ、二重の扉で守られました。
その寮に入れば両親も安心すると思って、私は高校生の時からそこに入ることを目指していました。
寮生活が始まりまだ間もない日曜日に、早朝のバスに乗ってセビージャまで日帰り旅行をしようと考えました。
早起きして、みんなが寝静まっている寮の廊下を通りホールまで来て、鉄格子を開けて鉄板の扉を自分で開けようとしました。
いちばん外側の鉄の扉が開きません。
「ああそうか、寮には朝も門限があるんだ」とやっとその時気付きました。
うっかりしてたなーと思い部屋に戻ろうとしたら、背後でガチャンという音が・・・。
鉄格子の扉が自然に閉まってしまい、私は2枚の扉の間に取り残されてしまいました。
オイガ~(聞いて~、すみませんが~)と大きな声を出しても、部屋は上の階なので誰も起きてくる気配がありません。
こんなところを誰かに見られたら物笑いの種だと思って1時間近くへたり込んでいたら、いちばん早く起きてきたお年寄りのシスターが驚いて鉄格子を開けてくれました。
ああ、最初に起きてきたのがシスターで良かった、とその時思いました。
計画していたセビージャ行きのバスにも乗れなかったしもう出掛けるのはやめようと思いましたが、シスターが鉄の扉を大きく開けて「ブエン·ビアヘ!(良い旅を!)」と元気に言いました。
部屋に戻って寝るとは言い出せなくなってしまい、シスターに見送られながら、行くあてもなく、とりあえず外に出たのでした。
その時はもう遠出をする気分ではなかったので、近くの町のグアディクスにバスで行ってみました。
グアディクス、グアダラハラ、グアダルキビル等々、このような地名や川の名前はアラビア語の「川」に由来しているそうです。
グアディクスでは大聖堂前の広場の蚤の市を見て、ガイドブックでも有名な洞穴住居を外から見て回りました。
1時間位歩いたら、もう飽きてしまうようなところでした。
刺激満載なだけではなく、うら寂しいこんな風情もアンダルシアなんだなと思いました。
寮に戻ると、早朝の出来事が寮全体に知られていて(あのシスターかっ!)、更には、私がグアディクスをぶらぶら歩いていたという目撃情報も既に寮に届いていたことには辟易しました。
寮では良くも悪くも目立つのは当然で一挙一動に注目されてしまい、知られたくないちょっとしたヘマもすぐ知れ渡り、一時は帰宅恐怖症にもなり、大変なこともかなり多かったです。

2022.10.10

寮での大切な行事(フェイスブックの過去の日記から)

「 寮の始業式と修了式の思い出」


グラナダ大学付属の外国人コースで勉強している時に住んでいた女子寮の100人の寮生は、皆グラナダ大学の大学生でした。スペインのいろいろな地域から集まっていましたが、アンダルシア出身者が7割くらいだったと思います。

寮では10月に始業式、5月に終了式がありました。
寮生活が始まってからまだ日が浅い頃、「始業式ではおしゃれするんだよー」と寮の子たちから言われ、とりあえずエル・コルテ・イングレス(スペイン各地にあるデパート)まで服を買いに行きました。
始業式が始まるのは夕方からだったのですが、その日は昼食が終わるとみんな自分の部屋に引っ込んで支度をしました。寮の廊下は信じられないほど静まり返っていました。
そして始業式が始まる時間、食堂に集まったみんなを見てあっと息をのみました。
普段と全く雰囲気が違っていて、1年生たちも自分をめいっぱい大人っぽくゴージャスに見せようとしていてとても綺麗でした。
上級生達はもういっぱしのマダムで迫力の美しさでした。
黒いロングドレスの子が多くて圧倒されました。褐色の肌にとてもよく似合っていました。
茶色いワンピースの自分がずいぶん幼く思えました。
スペイン人の女子大生のいつもの通学の服装は、質素で真面目でした。
彼女たちの普段の恰好で印象的だったことは、一粒の真珠のピアスと、十字架のネックレスやイエス様やマリア様が彫られているネックレスをいつも身に着けていたことです。
ミサと式の後は食堂で立食パーティーでした。その日は、家族以外の男子も許可をもらっていれば寮に入ることが出来ました。
5月の修了式に向けては、寮の子たちはテラスで日焼けに励んでいました。
なぜ日焼けするの?と聞いたら「日焼けした方が美人に見えるから。当然でしょ」と言っていました。
シミは心配でないのかと聞いたら、そうなったらその時に考えると言っていました。
(今ではスペインでも日焼けに対する考え方が変わっているかもしれませんね。)
フラメンコの歌詞でも「モレーナ(浅黒い肌の、日焼けした)」は頻出単語ですね。
好きな女性をモレーナと呼び掛けたり、浅黒いユリよ・・と言ったり。
ちなみに「アンダルシアで一番美人が多い土地はコルドバ、そして、一番かっこいい人が多い土地はグラナダ」と寮生たちが言っていました。
秋の始業式ではシックな黒いロングドレスが多かったけれど、ほとんど夏の気候の修了式の時にはみんな色とりどりのドレスやスーツを着ていました。
修了式の食事会は中庭で行われました。
中庭の中央にはマリア様の像があり、オレンジの木には白い花が咲いていました。
オレンジの花はマリア様の象徴なのだそうです。
修了式のあった5月はかなり遅い時間まで空が明るかった記憶があります。
始業式の時も修了式の時も、その後はディスコを貸し切ったパーティー。
ここからが本番らしく、これがまた凄いのなんのって。
わりとおとなしく地味めなタイプの子たちでも週末の夜には普通に踊りに行くので、そういうナイトライフとは無縁の私には衝撃的でした。
私にとっていちばん苦手なことは、はしゃぐことと踊ること。
この先、もう決して経験しないだろう貴重な経験をしました。

2022.10.08

グラナダ大学の講堂で踊った時のこと(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「グラナダ大学の講堂で踊った時のこと」(フェイスブックの過去の日記より)

グラナダ大学付属の外国人コースに留学していた時に、グラナダ大学の講堂でフラメンコをひとりで踊る機会に恵まれました。

学生有志による文化活動発表会のようなもので、毎年(たしか3月後半)開催しているようでした。

出てみる?と言われ、出る!と二つ返事で答えました。

自分の国ではプロのフラメンコギタリストとして活動しているアメリカ人学生が運よく外国人コースにいたので、一緒に参加してくれるよう頼みました。パルマ(手拍子)はフラメンコの先生にお願いしました。

私はフラメンコに関してだけは度胸があるつもりですが、本番前日はあまりの緊張で食事の時にフォークを持つ手も震え、寮生達に驚かれました。
日本では緊張をほぐすために、手の平に「人」という字を3回書いて呑み込む真似をするおまじないがある、と説明しました
緊張をほぐすためのおまじないはスペインにあるのかと聞いたら「無い」と言っていました。

目の前にいる人の反応を気にするのは、日本人ならではでしょうか。

恥ずかしがりやの国民性も関係するかもしれません。

(スペイン人は胸の前で十字を切る仕草はするかもしれませんね)

そして当日。グラナダ大学の立派な講堂は、何百人入っていたのかわかりませんが満員でした。

扇子を持って、グアヒーラという曲を踊りました。

沢山の声援と拍手をもらいました。

参加の記念に、トマス・アクィナスの分厚い立派な本を教授からステージ上で頂きました。

(その本は、かなり長いこと私の部屋に大事にうやうやしく飾られていました)

自分のことでいっぱいいっぱいで、自分の出番が終わったらもう満足感でいっぱいで、他の参加者たちのことは何も覚えていないのですが、トゥナのグループ(伝統的な学生たちの音楽隊)が出演時間にいなくて遅れてきたので演奏できなかったことだけよく覚えています(誰の責任だったのかわかりませんが)。

誰かが気付けばよかったのですが、彼らの残念そうな顔を見てかわいそうに思いました。

この日の経験は、あー思い切ってやって良かった、といまだに何度も思い返します。

心臓に毛が生えていましたね。そのおかげで最高の経験をしました。

貴重な経験が出来て、スペイン人たちの大らかさに本当に感謝しています。

2022.10.08

スペイン留学前の大ピンチ(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「スペイン留学前の大ピンチ」(フェイスブックの過去の日記より)

日本の大学では、スペイン語スペイン文学を専攻していました。

グラナダ大学附属の外国人コース(セントロ·デ·レングアス·モデルナス)への留学希望が受理され、夏からのスペイン留学に向けて、3年生に進級してから一層勉強とフラメンコに頑張っていました。

私は成績優秀でそのうえ品行方正だったので、返金不要の奨学金をもらえることになりました(自慢ですけど)。

学するならそこに住みたいと高校生の時からずっと決めていたグラナダの女子寮にも入れることになりました。

5月末か6月初めに教授と廊下ですれ違った時、「きょうかしょ届いた?」と聞かれました。

「教科書?まだなんですけど」と答えたところ、

「教科書でなくて許·可·書!自分で入学許可書を取り寄せるのよ!7月初めの教授会に間に合わないといけないのよ!」とおっしゃるではありませんか。

「そ、その手続き、自分でやるんだったんでしたか!」

私は言われたことが信じられなくてそれ以上声も出ず、教授は呆れて開いた口が塞がらない、という様子でした。

夏休みの間はグラナダにある私立の語学学校に通う計画で、そちらの手続きは自分でやることと理解していたので自分で進めていたのですが、グラナダ大学の手続きについてはてっきり大学側がやってくれるものだと・・・。

メールが一般的でなかったのでグラナダ大学にファックスで書類請求しました。意外とすぐに書類が届いたのでほっとしたのですが、、全てフランス語で書かれた書類でした。日本人留学生に対してなのに。なんていい加減。

さすがグラナダ、愛すべきグラナダ、と感心している場合ではなく怒っている暇もないので、書類請求したらフランス語の書類が届きましたと教授に報告に行って、教授にそのフランス語の書類への記入の仕方を教えてもらって、グラナダ大学へ返送しました。

その他にどういう手続きをしたのか全く覚えていないのですが、スペイン大使館へ行ったり銀行へ行ったりてんやわんやでした。

とにかく驚異的なスピードで準備を完了させ、夏休みに入ったと同時にスペインへと飛び出しました。

2022.10.08

目は口ほどに・・(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

(ヨーロッパではコロナ禍でもマスクの着用を嫌がる人が多いと聞き、そういえばと思い当たることを書いた、コロナ禍の2021年頃の投稿)

「目は口ほどに···」(フェイスブックの過去の日記より)

ヨーロッパの人たちにとってマスクは身近なものでないようですね。

グラナダの女子寮のことを思い出しました。
寮の新入生歓迎会は、新入生が必ず受けなければならない試練でした。
歓迎会では、新入生は上級生達の前でたった1人で歌ったり踊ったり何か一つ芸をやらないとなりませんでした(私はセビジャーナスを踊りました)。
歓迎会会場の寮の広い玄関ホールに行くと、黒ずくめの服を着た上級生達が更にサングラスをかけてスカーフ等で口許を隠し、あぐらをかいて車座で新入生を待ち構えていました。
今思い出してもゾッとします。
上級生たちはわざと最初は無反応でシーンとしていて、その真ん中に新入生が1人ずつ出て行って、名前を言ってから、その冷え切った雰囲気の中で、歌ったり踊ったりし始めるのです。
(でも後半は、上級生たちも意地悪なお芝居をやめて一気に盛り上げるという決まった流れがありました。そして毎回最初の空気に戻るのです)
上級生達もこの恥ずかしさを過去に経験済みなので、新入生に同情してくれる人はスカーフからこっそり口を見せてニコッとしてくれました。
サングラスの方が迫力あって怖いんですけど!と私は思っていました。
「目は口ほどにものを言う」の文化との違いかなと思いました。

2022.10.08

文化の違い、マナーの違い(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

  「文化の違いとマナーの違い。 腕はもう絶対に組みません。」(フェイスブックの過去の日記より)

1996年から1997年に、グラナダ大学付属の外国人コース(セントロ·デ·レングアス·モデルナス)に通いました。
必修科目の他にいろいろな授業を選べました。
ある授業中、先生が急に説明を止めて「あなたのその態度は何ですか。私の授業が気に入らないのですか」と顔を赤くして怒り出しました。先生が指差す先は····、なんと私!
「そんな風に腕組んで···」と言うのを聞いて自分の座り方にハッとしました。
「こっこっこれは私の癖でして、特別な意味はありません。すみません」と慌てて謝りました。
自分の体の前で両腕を組む仕草が、相手を拒絶する態度に見られてしまったのです(日本でも良い印象与えませんが)。
人前で厳しく言われて恥ずかしかったですし、悪気がないのに誤解されショックでした。
何気ない仕草に要注意です。
授業中に脚を組んで座っていても脚を投げ出して座っていても行儀悪いと注意されず、
小さな子供でもないのにボールペンをくわえたり噛んだりしていても何も言われず、
暑いといって教室でいきなりTシャツを脱いでほとんど水着のような格好になっても注意されないのに、
心を閉ざしていると思われてしまう態度が、いちばん悪い授業態度なんだと痛感しました。

2022.10.08

グラナダのバスツアーでの出来事(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 「バスツアーでの出来事」(フェイスブックの過去の日記より)

グラナダ留学中に、スペイン人たちの中に入ってバス旅行をしました。
日本人の友達と参加しました。
添乗員が盛り上げながら、車内では乗客たちが笑い話(chiste)を次々と披露しあっていました。
何言ってるのかわからなくても、みんなでマイクを回し合って和やかな雰囲気。
そのうちにあるひとりが「ではあなたたち日本人もchisteをひとつ···」と。
ええっ!
そんなこと日本語でだって無理。
困ったことになったと思っていたら友達がマイクを受け取りました。
スペイン人たちはお喋りを止めて、まだ喋ってる人に対しては注意して、全身で人の話を聴く姿勢に。
友達は、日本人留学生たちがスペインで直面する驚きや戸惑いを面白く話しました。
話が終わると大きな反応と暖かい拍手。
心を開けばこうやって受け入れられるんだなあと思いました。
(持ちネタは用意しておくと良いでしょう。)

2022.10.08

日本とスペイン、ミサのこと(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

  「日本とスペイン、ミサのこと」(フェイスブックの過去の日記より)

私が小学校から通っていたカトリックの学校では全校ミサが年に数回ありました
(母体の修道会がスペインにある学校でした。縁とは不思議)。
ミサの中で、人類愛と平和を願うため左右の人と微笑みながら会釈をし合う場面があります。
厳かなミサの中でこの時だけ雰囲気が和む不思議な儀式です。
小学校低学年のうちはみんな面白がってお互いペコペコしあって可愛いのですが、成長するにつれて恥ずかしくなって照れ笑いするだけだったり冷めた態度をとったりしていました。
グラナダ留学中にイギリス人の友達からミサに行ってみようと誘われました。
私は信者でないけどいいのかと聞いたら大丈夫だと言われたので一緒にミサに行きました。
参列者同士で挨拶し合う場面では、スペインなのでハグとキスをしました。
両隣だけでなく、隣の隣のその隣の人、前後、斜めの人たちともワイワイと抱擁と接吻を交わしたので、この国で引っ込み思案だったらミサにも出られないんだなと思いました。
文化が違うなあと痛感しました。
いろいろな国ではコロナの影響でハグやキスの挨拶に替わる別の挨拶が取り入れられていますが(肘をくっつけ合う等)、キスとハグが出来ないことは、日本人が想像する以上に悲しく寂しいことなのではないかなと思います。
(2021年、コロナ禍の時の投稿)

2022.10.08

グラナダ大学外国人コースの初日(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

「グラナダ大学外国人コースの初日」(フェイスブックの過去の日記より)

9月に入ったのでグラナダ大学付属の外国人コースの入学日(1996年)のことを思い出しました。
会話クラスを決めるため、先生との一対一のレベル分け面接がありました。
攻めの姿勢でこの留学生活を送ろうと決心して、普段の自分の倍しゃべる気持ちで面接に臨みました。
ところが面接の最後に先生から「口数が少ないようですね」と言われて、いきなり出鼻をくじかれました。
この国では一体どれだけしゃべれば普通レベルなのだろうかと思いました。
面接の結果、わりと上のクラスに入りました。大変だったけれど良く頑張ったと思います。
9月に入り、うちの子供たちも新学期が始まりました。
コロナでいろいろな行事が中止になり、頑張って練習してきたことを競い合ったり発表したりする機会がなくなってしまいました。

毎日小さな楽しみを見つけて過ごして、大きな目標を諦めないでほしいです。 

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