フラメンコ教室エルソル ブログ

2024.05.04

グラナダの美しい季節(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

今頃はグラナダにある庭園の花々がとてもきれいな時期ではないかなと思います。

グラナダの思い出話と一緒に、グラナダの歴史、スペイン語豆知識も少し。

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「グラナダのカルメン」(フェイスブックの過去の日記より)
グラナダにあるアルバイシンは急な坂道や迷路のような小路が多い古い地区で、白壁の家々が密集している様子がガイドブックなどで見られます。
そのような家以外に、中の様子をのぞけないくらいの高さの白い塀に囲まれたお屋敷もアルバイシンにはありました。
門の内側には憧れてしまうような美しい庭がありました。
木がこんもり繁っていて涼しさを感じ、手入れの行き届いた花々が咲いていました。

グラナダにあるこのような庭園を持つ邸宅を、「カルメン」といいます。
その美しさから女性名のカルメンにちなんで名付けられた、ではなくて、女性名とは全く関係なく、実際はアラビア語の「ぶどう園」が語源なのだそうです。
イスラム教徒に長く支配されている間にグラナダでは灌漑技術が発達したので、果樹園や庭がある家というのはグラナダの歴史を表しています。
カルメンはアルバイシンの他にも郊外の勾配のある土地に建てられていることが多いそうです。
1996年から1997年のグラナダ留学中は学生寮に住んでいましたが、1998年の半年間はグラナダの中心部から徒歩20分ほどの、急な坂道の途中にあるお屋敷にホームステイしていました。とてもきれいな庭がありました。
たしか5月。庭でパエリヤをごちそうになりました。
木陰は涼しく、庭のレモンの木からもいだレモンをパエリヤに振りかけて食べました。
心に残っている良い思い出です。

 

2024.04.16

スペイン人の名前のこと(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 先日、ビクトルエリセ監督の新作「瞳をとじて」を観ました。

出産間近の妻が、娘にはフアナと名付けたいと言うと、夫が「フアナは古くさい。エストレージャがいい」と言う場面がありました。

数年前に観た「ペトラ」という映画でも、主人公のペトラが自分の名前を「古めかしい名前でしょう?」と言っていたので、スペイン人の名前にも時代によって違いがあるのかなと思いました。


スペイン人の名前について思ったことを書いた投稿です。

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「スペイン人の名前のこと」(フェイスブックの過去の日記より)

グラナダに1年間留学していた時、100人のスペイン人女子学生と寮生活をしていました。

私の同期に当たる1年生の寮生22人のうち、マリアが5人いました。
日本人にとって、スペイン人女性といえばこの名前、というイメージが強い「カルメン」は、100人のうち1人だけでした。
男性名で多い名前はもしかしたらホセかもしれませんが、これは聖母マリアの夫のヨセフのスペイン語名です。

マヌエルも多い気がします。これはイエズスキリストの別名です。
イエズスのスペイン語名の「ヘスス」が多いことにも驚きました。親が子にヘススと名付ける時に畏れ多いという気持ちはないのかなと思ってヘススという名の本人に聞いたことがありますが、残念ながら何と答えてくれたかは忘れてしまいました。
人の名前から、ここはカトリックの国なんだなーと感じることはよくありました。
女性名に「アングスティアス(苦しみ)」や「ドローレス(苦しみ、悲しみ)」が多いことにも驚きました。マリアさまやキリストの心に寄り添う、ということなのでしょうか。

「マグダレーナ」も私にとっては意外な名前でした。
私はカトリックの学校に通っていたので(スペイン系の学校だったのです。縁とは不思議)、マグダラのマリアの話は知っていますが、ちょっと知ってる位ではなかなか娘にその名をつけられないな、と思います。
理解の深さが違うのでしょう。
中学か高校の頃、聖人の中でもマグダラのマリアは人気があると先生から聞いたことがありました。
聖人に対してそういう感情を持つのは面白いと思いました。
挫折を経験した人、完璧でない人の方が魅力的、ということかもしれません。

ちなみに私がようこと名付けられた理由の一つは、オノ・ヨーコさんと同じだからです(漢字は違いますが)。
「ようこ」だったら外国の人も呼びやすいし、オノ・ヨーコさんと同じ名前なら覚えてもらいやすいだろう、と親が考えて付けた名前です。
私はようこです、とスペイン留学中に最初に自己紹介すると、いろいろな国の人達から「ヨーコ·オノと同じ名前だね!」と言われました。
親が願ったことが起きたなあと驚きました。

2024.04.14

セビージャの春祭りの思い出(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

娘に「セビジャーナスを踊っている人の絵を描いて」と頼んだらこういう絵を描いてくれました。

雑だけれどかわいい絵をささっと描くのが得意。

私の教室でも、最近になってセビジャーナスをペアで踊る練習を再開しました(コロナ禍の頃からやめていました)。 生徒さんも楽しそうです。

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セビージャの春祭りの思い出」(フェイスブックの過去の日記より)

4月になると毎年必ず思い出すのがセビージャの春祭り(Feria de Abril de Sevilla)。
私が行った日は小雨が降っていましたが、テレビやガイドブックで見たままの華やかな世界で感激しました。
たくさんのカセタ(テント小屋)がありました。
テーブルの上に飲み物や食べ物があって、ステージでは楽しそうにセビジャーナスを踊っていたりバンド演奏をしていたりショーをしている様子を外から見ることが出来ました。
そういうところはプライベートのカセタで仲間内だけが入れるところです。
入り口付近にいる人に「すみませんが入っても良いでしょうか···」と何軒か聞いてみると、「さあどうぞどうぞ、セニョリータ」とフレンドリーに招き入れられた、ということはな・く・て、「会員制ですので」と当然ですが断られました。
少しは期待していたのですが。
誰でも入れる公営のカセタは大にぎわいで、セビジャーナスを踊っている時に他の人とぶつかりそうになるのですが、それも楽しかったです。
グラナダに帰ってから寮のみんなにフェリアの感想を聞かれ、「馬の糞だらけで避けて歩くのが大変だった」と答えていたことを思い出しました(しかも雨でぬかるんでいましたし)。
もっと気の利いたことを言えば良かったなあと今更遅いですが反省。
セビージャの春祭りの始まりは家畜見本市だったそうで(だからFeriaなんですね)、上流階級の人は馬や馬車に乗って来たので、今も馬車や馬が多いのはその名残なのだそうです。
コロナで多くの国でお祭りを開催できませんが、伝統が消えずにお祭りを再び楽しめるようになってほしいですね。
(コロナ禍の2021年くらいの投稿)

2024.04.06

カーネーションの記憶(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 花屋さんではもう母の日に贈る花の宣伝をしていますね。

スペインの国花は赤いカーネーションです。十字架から下ろされたイエスを聖母マリアが抱いた時に、彼女が涙を落とした地面から赤いカーネーションが咲いたというお話があるので、それと関係あるのかなと思っています。

カーネーションといえば必ず思い出すことがあります。


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「カーネーションの記憶(スペインの寮の思い出)」(フェイスブックの過去の日記より)

きっとスペインで昔からずっと親しまれているのだろうと思う歌で、「クラベリートス」があります。
「可愛いカーネーションよ」という意味です。
クラベリートスをよく歌っていたのが、トゥナと呼ばれる男子学生の音楽隊です。
トゥナの一団は16、17世紀の学生の伝統的な服を着て、セレナーデをギターなどで演奏して歌います。
衣装も優雅でかっこよく、趣があって素敵でした
大学のいろいろなイベントでトゥナがクラベリートスを歌い、それに合わせ他の大学生たちも″クラベリートス、
クラベリートス....″と歌っていました。
ある日、私が住んでいた女子寮のホールにトゥナが来た時がありました。
(その日の朝食の時に、ある一人の面白いタイプの子が食堂に入って来るなり「チコー!(男子ー!)」と叫びみんなを笑わせました。日本の女子校と同じだなと思いました)
ホールにみんなが集まり、トゥナの演奏と歌に聴き入りました。
しばらくすると、男子達が女子達にダンスの申し込みをし始めました。
男子から差し出された手を女子が取ると、男子はホール中央まで女子をエスコートしました。
男子は女子の背に手をまわし、女子は男子の肩に手を置き、もう一方の手を軽く握りあって向かい合って踊り始めました。

私も早い段階で数人に申し込まれたのですが、その手のダンスの経験がなく恥ずかしくて断ってしまいました。

ノリの悪さでチャンスを逃す、これは若い頃の私のいつものパターン。
再び誘われることなくそのままとうとう壁の花・・・・。
皆さん、同じチャンスは二度と来ないのです!
ちなみにスペイン語で、壁の花になることを「七面鳥を食べている」と言います。
私が考えるには、パーティーで人の輪に入れず黙々と七面鳥を食べている様子が由来なのではないでしょうか(涙)。
クラベリートス、クラベリートス····。
尻込みしたことを悔やんでも後の祭り。
いつまで歌い踊れば気が済むんだと思いながら楽しそうに踊る人達を眺めている時間の居心地悪さといったら!
自分に対してももちろん、自分の子供達にもこれを覚えていてほしい。
「恥ずかしがらず、人目を気にせず、まずはやってみる」

2024.02.22

グラナダのセマナサンタ(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

少し早いですが、セマナサンタを思い出しました。

厳粛で壮大な宗教劇を大勢の人たちと共に見守り、一体感を感じた素晴らしい思い出です。

セマナサンタに関係するいろいろな単語も当時覚えたので、それも思い返してみました。

●パソ(キリストやマリア様の像が載った山車)

●コフラディア(カトリックの団体。セマナサンタの行列を取り仕切る。多分)

●コスタレロ(パソを担ぐ人)

●プレンディミエント(キリストが捕らわれの身になったこと)

●カピローテ(先のとがった頭巾)

●ナサレノ(セマナサンタの装束の人)

●エル・ナサレノ(頭文字が大文字で、キリストのこと)

●エル・カウティボ(頭文字が大文字で、キリストのこと)

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  「グラナダのセマナ・サンタ(1997年)」(フェイスブックの過去の日記より)

スペインの行事で特に心に残っているものの一つが、3月後半にあった聖週間(セマナ・サンタ)です。
サクロモンテでセマナ・サンタを見ようということになり、その日の夜遅くに友人とサクロモンテに行きました。
広々とした原っぱに幾つもの焚き火が燃えていて、それぞれの焚き火に数人が車座になっていました。
私達は、地元の友人同士だという若い人たちのグループに入れてもらいました。3月末の真夜中、火の気のないところにずっといたら凍えて絶対に耐えられませんでした。本当に有り難かったです。
普段は宗教を気にすることはあまりないけれど、セマナ・サンタの時は少し感傷的になるんだ、という話を焚き火を囲みながら聞きました。
それぞれの焚き火のグループはとても楽しそうでした。
当時、ニーニャ·パストーリの「トゥ·メ·カメラス」というフラメンコのタンゴがとても流行っていたのですが(確か車のCM にも使われていました)、それを手拍子しながら歌って、1人ずつ輪の中央で踊って次の人と交替していく光景を見て、あまりにも絵になるので感動しました。
午前3時頃、皆がわーっと動き出しました。私達も着いていきました。向かう先は教会です。
暗くて足元が危なかった記憶があります。
教会への道の途中、こっちが近道だと言って周りの若い人たちが次々と崖をよじ登って行くので私の友人たちもそれについていきました。
私はおとなしい子供時代を過ごし、お転婆な経験ゼロ。運動神経にも自信ありません。どうしよう··とためらっていると、知らない誰かが腕を伸ばしてくれたのでその手をガシッと握って引っ張りあげてもらいました。
教会の前で、十字架にはりつけにされたキリストの像と、聖母マリアの像が向い合わせになりゆらゆらと揺れていました。
息子の姿を見てマリア様はどんな気持ちだっただろうかとその場にいる一人一人がきっと思いめぐらせていたと思います。


数人が代わる代わる歌う「サエタ」という悲痛な唄に胸を打たれました。サエタはスペイン語で矢という意味です。
終わると皆がどっと帰ります。人の波にうまく乗らないと危ないので、今度はジャンプして崖を下りました。
帰宅は午前5時位でした。厳かで感動的な経験をしたことや、その他いろいろな興奮が混ざり、なかなか眠れませんでした。

2024.02.14

フラメンコ教室エルソル 鵠沼教室の看板

 今日はバレンタインデーですね。

これは数年前に作ってもらった看板です。

色も形も私の好きなチョコレート風。

育児真っ只中の頃は、ストレスでカレ・ド・ショコラ(21枚入り)を3日で食べ切っていました。

私がフラメンコ教室を自宅で始めた理由は、育児で家に引きこもりがちになっている人の役に立ちたかったからです。

フラメンコに興味ある方、ぜひご連絡ください。

2023.12.23

娘のアンダルーサ(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

「娘のアンダルーサ」(フェイスブックの過去の日記より)

娘が先月あったピアノの発表会でグラナドスのアンダルーサを弾きました。

約1年間練習してきました。

「今度弾く曲はアンダルーサっていうの」と娘から聞いた時は感激しました。

アンダルーサに「Playera」という副題がついていることを私は初めて知りました。 Playeraはアンダルシア民謡でカンテホンドと関係があるそうです。

楽譜にはPlayeraが哀しみ、嘆き、祈りと訳されていたので、そういうものがカンテホンドなんだなあと思いました。

土臭さを表現する感じで弾くといいんだって、と言いながら練習していて、どんな風に聴かせてくれるのか私は楽しみにしていました。

夫は、娘がヘッドホンをして電子ピアノの鍵盤をぱこぱこ叩いている音しか聞いていなかったので、アンダルーサを本番で初めて聴いて、こんな哀愁があって美しく力強い曲をいつの間にか弾けるようになっていたんだと驚いていました。

娘がアンダルーサを弾く姿は、私にとっては感慨深かったです。

娘は今はアルベニスのタンゴを練習中です。アルベニスはどんなタンゴの踊りを見てインスピレーションを受けたのだろうと思いました。

ちなみにアルベニスもグラナドスも亡くなった年齢が同じ48歳。 ちなみに私も今48歳。

ああそんな早くにと思いました。

(娘が中3の時の投稿)

2023.12.03

2023年12月2日(土)、湘南アイパーク「健康・移動をデータで結ぶ未来」に参加。

 2023年12月2日(土)

ーHEALTHCARE MaaS 2023ー

「健康・移動をデータで結ぶ未来」

藤沢の湘南アイパークで開催された、健康と長寿を考えるイベントに参加させて頂きました。

夕暮れ時のような写真ですが、お客様にはヘルシーランチセットを召し上がりながらショーを見て頂きました。

カフェテリアステージにお越しくださいましたお客様、ありがとうございました。

フラメンコは年を重ねるほどに楽しくなります。

踊りのことだけでなくて、フラメンコを通じてつながる人間関係もとても大きなものです。

カンテの礼子さん、ギターのじゅんさん、どうもありがとうございました。

2023.11.26

フラメンコ教室エルソル 第11回発表会を行いました。

 2023年11月25日(土)、藤沢の新堀ライブ館のセゴビアホールにて第11回発表会を行いました。

急に寒くなった日でしたが、お越しくださいましたお客様方、ありがとうございました。

毎日忙しい中一生懸命に練習してきて、生徒さんも素晴らしかったです。

来年の夏の発表会も楽しみですね。頑張りましょう。

ギターの宮川明さん、カンテのレイコシミズサンギットさん、どうもありがとうございました。

2023.11.23

東方の三博士の日(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 グラナダの寮は授業が始まる前日にならないと入れなかったので、年末年始のイタリア旅行の後は、グラナダに帰る前にマラガに少し滞在しました。

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「東方の三博士の日」 (フェイスブックの過去の日記より)

スペイン留学中のクリスマスと年末年始はイタリア旅行をしていましたが、1月5日はマラガにいました。

1月6日が祝日で、その前夜に東方の三博士が子供たちにプレゼントを持ってくると言われています。

1月5日の夕方に大通りでパレードがあり、マラガに帰省中の子と一緒に見ました。

山車から沿道の人たちに向かってお菓子が投げられるので、ここがいい、あっちがいいとウロウロしてパレードを見る場所を決めました。


私は折畳み傘を手に持っていたのですが、鞄にしまうように言われました。

傘を開いてお菓子を傘の内側に入るようにしていた人がいて(大胆!)、他の人とトラブルになったのを前に見たというのです。

誤解されてスペイン人のあの早口でまくし立てられたら、もうたまりません。急いで傘をしまいました。


三博士に扮した人たちを指して、「あれがバルタサール、ガスパール、メルチョール」と教えてもらいました。

私はカトリックの学校にずっと通っていたのですが、三博士にそれぞれ名前があることを初めて知りました。

何十年たっても忘れられない得難い経験がマラガでもできました。

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