フラメンコ教室エルソル ブログ

2023.11.21

スペイン留学中の年越しはナポリで(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

スペインでは、大みそかの12時の鐘に合わせて12粒のぶどうを食べて1年の幸せを願う、と大学1年の時に授業で習いました。

とても楽しそうな習慣ですが、私はスペイン留学中の年末年始はイタリア旅行をしていたのでそのuvas de la suerte を食べていません。
体が2つあればいいのに、と当時日本人留学生の友達が言っていて、本当にその通りだと思いました。

イタリアでの年越しも刺激に満ちていて一生の思い出になりました。

★~★~★~★

「スペイン留学中の年越しはナポリで」(フェイスブックの過去の日記より)

年末年始はイタリアを旅行し、ナポリで新年を迎えました。
大晦日の夜に大きな広場へ行きましたが、爆竹が鳴り響く荒々しい騒ぎに圧倒されました。
ナポリを見てから死ねという名言がありますが、ナポリで死ぬかも、と一瞬思ったほどでした。
日本の厳かな年越しと全く違うのでカルチャーショックを受けました。
1月1日の昼間にナポリの町を歩いていると10歳にもならない位の男の子が私の足元に爆竹を投げ付けてきました。
ぎゃっと叫んで飛び退いてその子供をキッと睨んだら、向こうは私にウィンクしてきました。
なんて末恐ろしい子供!
そういうこともありましたが、イタリア旅行の中でもナポリは特にワクワクすることが多く、ポンペイ遺跡やカプリ島にも行って、面白いところだったなあとずっと心に残っています。

高台までかなりの距離を歩いて行って、そこからの眺めが思わずわーっと声が出たほど素晴らしかったです。

東方の三博士の日の前夜の1月5日にはマラガにいました。その時の思い出はこの次に。

2023.11.19

スペイン留学中のクリスマスはイタリアで(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 クリスマスといえば、

育児で大忙しだった頃、「クリスマスプレゼントは何がいい?」と夫に聞かれて「独りの時間が欲しい」と切実に訴えていた時期もありました。

サンタクロースから届くプレゼントが本や図鑑の時が多く、「サンタって欲しいものくれないよね」とうちの子供たちが小さい頃に兄弟同士で話し合っていたのをそばで聞いていて面白かったです。

大学3年の時のスペイン留学中のクリスマス休暇は、本当に貴重な経験でした

★~★~★~★

 「スペイン留学中のクリスマスはイタリアで過ごしました」(フェイスブックの過去の日記より)

グラナダ留学中のクリスマス休暇で、私はローマ、ベネチア、ナポリを観光旅行しました。
ローマにはクリスマスイブの夜に着いたのですが、お店がどこもかしこも閉まっていて驚きました。
イタリアでは、クリスマスは日本人にとってのお正月のような大切さなんだと知りました。
そしてさっそく困ったことが起こりました。
グラナダから電話で宿泊予約したはずのホテルで、予約名簿に名前がないと言われてしまったのです。
もしかして野宿することになるのかと思いましたが、ホテルの人が「大丈夫。心配しないで」というようなことを何度もイタリア語で言いながら、他の何ヵ所かのホテルに電話して空いてる部屋を探してくれました。
20数年経てば、これもクリスマスの良い思い出です。
レストランがどこも閉まっていて、小さなピザスタンドで買って立ち食いした一切れのピザが本当に美味しくて身に沁みました。
これ以上に美味しいピザはないと思いました。
今でも人生の中でいちばん美味しかった食べ物の1位か2位がこの時のピザです。
(ちなみに1位を争うのが、フランクフルトーマドリッド間のルフトハンザ航空の機内食。大学3年になる前の春休みの、初海外旅行の時でした)
あまりにも美味しくて、次の日にも行きました。
一切れの大きめのピザが残っていて、ちょうどその時に新しいピザがガラスケースに入ったところだったのですが、店員から最後の残りのピザを渡されました。

そっちの熱々の方がいいんですけど、と言えませんでした。


前の日に食べたピザの二倍近い大きさでしたが、冷めていて全く満足感がありませんでした。
冷めたピザほどつまらないものはないと思いました。
(そういえば、日本で「冷めたピザ」という言葉が話題になったことがありましたね。覚えてますか?知ってますか?)
ベネチアはとても寒かったです。ベネチアのことを思い出そうとしたら運河に停泊するゴンドラの揺れる音が今耳によみがえってきました。
振り向けばカフェがある、というくらいに町にカフェがたくさんあった記憶があります。手足がかじかんでカフェに入り、イタリア留学中の日本人学生とおしゃべりしたことが楽しい思い出です。
年越しはナポリでしました。その思い出はこの次に。

2023.11.16

スペイン留学生活最後の日(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

少し前に左膝にかなりの怪我をしてしまいました。

この傷だけで済んで本当に運が良かったと感謝すると同時に、「怪我は一瞬」と ぞっとしました。

右膝にも大きな傷跡があって、両膝にある新旧の傷が「油断禁物。一寸先は闇」と時々自分を戒めています。

右膝の古い傷は、25年以上前のグラナダ留学最後の日につくったものです。

★~★~★~★

「スペイン留学生活最後の日」(フェイスブックの過去の日記より))

日本に帰る前日に強盗に遭ってしまいました。
シエスタの時間にアルバイシンを歩いていて気が緩んでいました。
あっと思った時にはもう遅かったです。
貴重品は持っていなくてフラメンコシューズを入れた半透明のビニール袋だけを持っていたのですが、首を絞められて、向こうの方に見えたアルハンブラ宮殿がぐるんと一回転しました。
約1年間の留学生活最後の日でしたが、日本語しか出てきませんでした
たーすーけーてー!!と命がけで繰り返しました。
全身から血が噴き出しているような感覚だったのですが、立ち上がった時に怪我しているのが右膝だけだとわかり、あれ?と思いました。
友達の家に行って膝を消毒して包帯を巻いてもらい、寮まで歩いて帰りました。
二度と来るかこんな国、と思いながら歩いている途中にも血が止まらなくて包帯も緩んできて、すれ違う多くの人達が心配そうに見るだけでなく声をかけてくれました。
この近くに自分の家があるから包帯を巻き直してあげると言ってくれる人もいたり、お店の人達は″うちに入って入って″と言ってくれました。
車の運転手やバスの乗客も″おーいどうした″と声を張り上げ、文字通り四方八方から声をかけられました。
留学中にいつも言われていた″チニータチニータ″の声とは全く違う真剣ないたわりの声を聞き、私はずいぶん複雑な気持ちになりました。
外を歩いていると、見ず知らずのスペイン人が(主に若い男)、自分の両目尻を引っ張ってわざと細い目にしてこっちに向かってチニータチニータ(東洋人を見下した感じの呼び方)と言ってからかってきたことがしょっちゅうあったのです。
翌日、マドリッド行きの飛行機で席が隣になったシスターが、まだ血がにじんでいる私の膝を見て、役に立つかもと言ってティッシュをくれました。
最後の最後まで優しい人に会えたと思いました。
日本に帰ってからも、後ろから急に腕をつかまれる夢を見てはっと起きることが何度かありました。
油断大敵、もう馴れたと思った時がいちばん危ないと痛い思いをして理解しました。
(私がすごく叫んだので犯人は捕まりました。)

2023.11.06

日本とスペイン、子供との接し方(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

海外駐在中に出産し、子供が小学校低学年の頃まで海外にいた友人から「うちでは、子供たちが高校生になった今でもハグもするしキスもするよ」と聞いて、へえーと驚きました。

私なんて長男の手をにぎった記憶があるのは幼稚園年長の初めの頃まで。

娘を乗せたベビーカーを押して次男をだっこしながら買い物袋を持ち、いつも私の両手は塞がっていたのですが、長男は淋しかったかもと今更ですが思っています。

スペイン留学中に、親子の関係について寮の子たちと話し合ったことを思い出しました。

★~★~★~★

「日本とスペイン、子供との接し方」(フェイスブックの過去の日記より)

日本では親子で抱き合ったりキスしたりしないと言ったら、スペインの寮の子達はとても驚いてました。
「ケ·フリオ....(なんてよそよそしいの)」と心から憐れむように言われました。
赤ちゃんも抱っこしないのかと聞かれた時はあまりに極端な発想なので笑いました。
今は大変な育児の時期が過ぎて私にもかなり自分の時間がありますが、あんなに抱っこしておんぶして子供と一体だったのにもうあれほどの近さで触れ合うことがないんだなと思いました。
いくらこちらがハグしたいと今になって思っても、そういう習慣が日頃からないと思春期を迎えたらもう無理ですから。
話は20年以上前のスペインの女子寮に戻ります。
親子間の信頼関係が薄いのではないかと一人の子から真顔で言われて、私は驚いて「ケ·バ!そんなことは決してない」と言いました。
そして、それぞれの親子関係、とりわけ父と娘の関係をもう少し深く話しました。
ハグしないからといって親子間の信頼関係が薄いことは決してないと言ったのですが、
「でも、痴漢に遭った場合は父には特に言わない」と私が言った時にはスペイン人の子達からなぜ言わないの?ととても驚かれ、どうしてどうして?と一斉に質問攻めされました。
「その気持ちわかる」と言ってくれた子もいましたが、その場にいた5、6人のスペイン人の子達のほとんどが「そういう目に遭ったらまずお父さんに知らせる」と断言していたことが印象的でした。
この話は自分が親になってからもちょくちょく思い出します。
ママ友にも「若い頃にそういう嫌な経験をした時には父親に話したか」と聞いてみると、恥ずかしくて言わなかった、父親とそういう話題について話す発想がそもそもなかった、という人が多いです。
親子間でも、相手に心配かけたくないと遠慮する気持ちが強いのかもしれません。
親としてはいちばん話してほしいことを、私は親に話してなかったな、ということを自分が親になってから気付きました。
自分達の家が、子供たちが何でも相談しやすい雰囲気なのかなと振り返りました。
(2019年くらいのフェイスブックの投稿)

2023.11.02

パエリアの思い出(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 久しぶりに外でパエリアを食べました。

パエリアには、いつまでも鮮明な思い出があります。

★~★~★~★

「パエリアの思い出」(フェイスブックの過去の日記より)

3番目の子供の出産予定日を1日過ぎてから病院に検診に行きました。

出産はあと2日くらいは先になるだろうと言われ、行きと帰りで30分ずつ歩いて買い物をしてから、実家で子供達と両親と一緒にお昼ご飯を食べました。

母の手作りの魚介類たっぷりのパエリアでした。

私がフラメンコとスペインに興味を持った高校生の頃から、母は私を喜ばせたい時や励ましたい時にはパエリアを作ってくれていました。

食べ始めた直後に急にお腹が痛くなりました。

まさか!

魚介類にあたったのではないかと両親が心配しました。

父が「妊婦に魚介類を食べさせるなんてなあ」とオロオロと言って母を怒らせたり、「3回目にもかかわらず腹いたと陣痛の区別もつかないのか」と言ってきました。

午前中に行ってきたばかりの病院に電話すると「魚介類にあたったのでは・・」と言われましたが、これは絶対に陣痛ですと私が言って、母の運転する車で病院に向かいました。

そんな時に限って病院のすぐ近くで道路工事があって、車が通れませんでした。

「仕方ない。最後の力を振り絞って歩きなさい」と母が言いました。

最後の力って。 これから産むんだけど。

とにかく無事に出産しました。

最初に痛みを感じた時から出産までにかかった時間は約90分。

次男はパエリアに誘われて生まれてきたので、誕生日にはパエリアを作ります。

2023.10.31

ふじさわ国際交流フェスティバルに参加しました。

 2023年10月29日(日)、第20回目のふじさわ国際交流フェスティバルに参加しました。

今年18歳の長男が赤ちゃんの頃から何回も参加させていただいています。

今まで国際交流フェスティバルでフラメンコを踊ったことを思い出すと、当時の育児のドタバタも一緒に思い出されます。

先日はたくさんの方にお越しいただき、暖かい声援と拍手をありがとうございました。

カンテの礼子さん、ギターのじゅんさん、たかさん、カホンのりゅうさん。ありがとうございました。

生徒さんも堂々としていてとても素敵でした。

2023.10.24

スペインの寮での新入生歓迎会(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

もうすぐハロウィンですが、仮装しますか?

大人になってから仮装したことありますか? 私はグラナダの女子寮の新入生歓迎会でヤシの木になりました。 これが人生で最初で最後の仮装だと思います。

★~★~★~★

 「スペインの寮での新入生歓迎会」(フェイスブックの過去の日記より) 入寮して数週間経ったころ、新入生歓迎会(novatada)がありました。

これは寮に入った新入生にとって避けて通れない試練です。

その時期に、顔に落書きをされた男子学生が外を歩いているのをよく見かけました(これは全然おとなしい方だと思います)。
新入生歓迎会においては上級者からの命令は「絶対に従わないとならない」もので、女子寮なので穏やかな方でしたが、陽気に見えるスペイン人のティーンエイジャー達でさえ、数日前から緊張して憂鬱そうな顔をしていました。
命令の一つが仮装でした。
歓迎会の前日にひとりひとりへの仮装の指示が発表されました。
私への仮装の指示は「palmeroヤシの木」でした。
フラメンコで手を叩く男性のこともpalmero(女性はpalmera)というので、「これは木の方だよね」と確認しました。
他の人達は、ピンチート(爪楊枝に刺さったおつまみ)、ボカディージョ(フランスパンのサンドイッチ)、有名人やドラマの登場人物等に仮装しました。そういえばティオペペもいました。

仮装のための段ボール等の材料を集めにみんなで近所のお店を回りました。そのため私はフラメンコレッスンを休みました(私が留学中にフラメンコ教室を休んだのはその1日だけ)。
仮装以外にやらないといけなかったことは、各々指定された先輩へのプレゼント(小物入れになる箱)の手作り、それと、お芝居や楽器演奏や歌の披露でした。


先輩へのプレゼントを手作りするために、まだ話したこともない先輩に会いに行き、どんな箱がいいか、色や形、大きさなどの好みを聞きました。寮の上級生たちと仲良くなるきっかけになるようにという計らいです。
歓迎会は夕食後に広い玄関ホールで行われました。
まずは仮装した姿を見せて笑われて、そのあとの準備のためいったん部屋に戻った記憶があります。
そして、ここからが恐怖の歓迎会。
先輩たちは皆サングラスをして黒い帽子や黒いマフラーで表情を隠し、黒ずくめの服を着て床にあぐらをかいて車座になり、新入生たちを待ち構えていました。
まず、一人ずつ手作りの小箱を先輩に渡すのですが、先輩たちはみんな揃って怖い先輩の演技をしています。
一人ずつ輪の中央に立って、プレゼントを手渡す先輩の名前を呼ぶのですが、スペイン人の名前は個人名+父方の姓+母方の姓から成るので、新入生が緊張のせいで先輩の名前を言い間違えたり忘れたりすると、先輩たちから一斉にブーイングを浴びせれらたり舌打ちされたりという目に遭わされます。
手作りの小箱を渡すのも簡単ではなくて、サングラスして黒ずくめの格好をした集団の中から目当ての先輩を探すのです。違う先輩に渡してしまいそうになると、「まだ先輩の顔も覚えとらんのか」とまた一斉になじられるのです(演技)。
なぜこんな面倒くさい集団生活を選んでしまったのだろうと後悔しました。寮なんてやめれば良かったと私は早速思いました。

まだまだ続く恐怖の歓迎会。続いて一人ずつ芸の発表。
最初は誰も笑いも喋りもしないシーンと静まり返った中で(先輩たちの演技)、先輩たちが取り囲むステージでたった一人で芸を始めます。
途中からガラッと空気が変わって先輩たちが急に手拍子を始めて陽気になって一気に盛り上げてくれる、というのが毎回のお決まりの流れでしたが、一人の番が終わると、また元の異様な空気に戻るのです。
私はセビジャーナスを踊りました。 思ったより早めにみんなが盛り上げてくれました。気を使ってくれたのでしょう。
(私が通っていた日本の大学から毎年一人がこの女子寮に入るのですが、このnovatadaではスペインでも人気の日本のアニメ「アルプスの少女ハイジ」の主題歌を日本語で歌うのが定番だったそうです。私は音痴なので歌は絶対に避けました)

とにかく無我夢中で乗り切った、よく頑張った経験でした。

2023.10.19

たまごっちの思い出(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

最近、Wi-Fi機能が搭載されたたまごっちが発売されたとか。

一時期は一世を風靡したたまごっち。

実は、私もかなり早い段階で注目していたのですよ。 

★~★~★~★~★

「たまごっちの思い出」(フェイスブックの過去の日記より)

1996年から1997年にグラナダ大学付属のセントロ・デ・レングアス・モデルナスで勉強しました。

会話クラスは少人数制で、私以外にはアメリカ人が数人、イギリス人が数人、オランダ人、フィンランド人、ノルウェー人がいました。

毎週一人が交替でリーダーになり、話し合いのテーマを決め授業を進める日がありました。

自分の国の問題点などを挙げて、みんなはどう思うか、と話を進める人が多かったです。

私に初めてそのリーダー役が回ってきた時、今日本で話題のことって何なんだろうと考えました。

当時グラナダでは、限られた1か所のキオスクでだけ、週一回日本の新聞が1種類だけ買えました。

日本にいる友達になにかニュースを聞いてみようと思って電話しました。

当時は、文系人間にとってはメールはまだ馴染みがなくて、私は友達や家族に手紙を書いて送っていました。

(家族が出て本人がいなかったら電話代がもったいないから一人暮らしの子に電話しよう)

「もしもし。今スペインから電話してるんだけど」

「えー!本当に?」

「今日本でいちばんの話題ってなに?」 

「うーん。猿岩石が日本に帰ってきたことかな」

私はお礼を言って電話を切りました。

ああどうしよう、授業は来週だ・・・

テーマが決まらず困っていたある日、日本人留学生の家で日本の週刊誌を見ました。

そこにはたまごっちというゲームの試作品についての話題が。

記事によると、「試作品を使ってみた女子高校生たちからの評判は上々。近々発売」

ペットを飼う手軽な疑似体験。命を遊びにするなんてとんでもない話。こんなの絶対おかしい。みんなに聞いてほしい。これを授業で話そうと決めました。

案の定、たまごっちはみんなの常識、想像をはるかに超えていて、説明に苦労しました。

想像が出来ないのでどう反応していいのやら、という様子で、

「なにが面白いんだかさっぱり理解できない」

「売れるわけがない」

「私の国ではそんなもの流行らないわ」

欲しい反応がもらえず明らかに小馬鹿にされていることがわかり、あーあ失敗したと思った苦い記憶です。

そして月日は流れ半年後。1か月後には日本に帰るという頃。

寮のスペイン人の子から、「クラスの男子が日本生まれのの面白いゲームを持ってきていたよ」と聞きました。

そう、たまごっち!!みんなで興味津々で取り囲んで見たそうです。

日本人の発想はすごいね、とスペイン人の子が言っていました。

日本で爆発的に流行り、世界各地に一気に広まったようです。

「私の国ではそんなもの流行らないわ」と言ったのはフィンランド人の子でしたが、そのフィンランドでたまごっちのための”合同葬儀”が執り行われた、というニュースを日本に帰国してすぐにテレビで見ました。

一時期は一世を風靡したたまごっち。

結局私はいまだに実物をそばで見たこともなく触ったこともありません。

2023.09.22

瀬戸内寂聴の「求愛」(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 瀬戸内寂聴の「求愛」を読んでいたらフラメンコダンサーが出てきてびっくりした!

いくつかの掌編小説が1冊に入っていて、そのうちの「ほくろ」です。

ほくろも水玉模様もlunares。 偶然にもフラメンコ的(寂聴さん、もしかしたら偶然でないのかも)。

誰が話のイメージに合うかなーと、日本人バイラオーラの方々を思い浮かべてみました(妄想してごめんなさい)。

上手に踊るだけでなくやっぱり色気がないとね(偉そうにごめん)。

2023.09.14

12年前は何をしていたか(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル )

結婚して20年近く。いろいろありますわ。

うるせえ、むかつくと思った時には、私の毎日が育児一色だった時にも夫は育児が終わった後の私の人生を考えていてくれて、私がフラメンコから離れないようにアドバイスし続けてくれたことを思い出せば、夫には感謝の気持ちがこみ上げてきます。

★~★~★~★

「12年前は何をしていたか」(フェイスブックの過去の日記より)
フラメンコ独特のリズムの12拍子は、人生と関係ある数字の12から来ている、と初めて聞いた時はすごく面白いと感動しました。
星座、時間、月、干支もそうですね。
12年前は長女をベビーカーに載せ長男を幼稚園に送り迎え。そして3人目を妊娠中。
体内のフラメンコのリズムが日に日にアンパンマンマーチに取って変わられていく焦燥感。
気持ちは焦っていてもそもそも時間がないし(トイレにすら自由に行かれない)、フラメンコの練習はおろか見もしないし聴きもしませんでした。
フラメンコを諦めることは仕方ないことだと思っていたのですが、夫から「今まで積み上げてきたものを簡単に手放したらだめだ」と言われ、これが母性と父性の違いなんだなあと思いました。
3人目を出産した後も「なんでも物事が軌道に乗るまでは時間がかかるから、生活が落ち着いてから行動に移すのでは遅い」と夫に言われ、次男が生後2ヶ月の頃に家でフラメンコ教室を再開しました。
レッスン前に授乳しておむつを替えて寝かしつけると、次男はレッスン中は一度も途中で起きなくて、寝ていてくれてありがとうと毎回思いました。
育児から手が離れてきて、フラメンコがある毎日を送れて本当に幸せで感謝しています。
今年もよろしくお願いします。
(2022年新年の投稿)

カレンダー

«7月»
  1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31   

ブログ内検索

フィード