ブログ

2024.04.06

カーネーションの記憶(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 花屋さんではもう母の日に贈る花の宣伝をしていますね。

スペインの国花は赤いカーネーションです。十字架から下ろされたイエスを聖母マリアが抱いた時に、彼女が涙を落とした地面から赤いカーネーションが咲いたというお話があるので、それと関係あるのかなと思っています。

カーネーションといえば必ず思い出すことがあります。


★~★~★~★~★
「カーネーションの記憶(スペインの寮の思い出)」(フェイスブックの過去の日記より)

きっとスペインで昔からずっと親しまれているのだろうと思う歌で、「クラベリートス」があります。
「可愛いカーネーションよ」という意味です。
クラベリートスをよく歌っていたのが、トゥナと呼ばれる男子学生の音楽隊です。
トゥナの一団は16、17世紀の学生の伝統的な服を着て、セレナーデをギターなどで演奏して歌います。
衣装も優雅でかっこよく、趣があって素敵でした
大学のいろいろなイベントでトゥナがクラベリートスを歌い、それに合わせ他の大学生たちも″クラベリートス、
クラベリートス....″と歌っていました。
ある日、私が住んでいた女子寮のホールにトゥナが来た時がありました。
(その日の朝食の時に、ある一人の面白いタイプの子が食堂に入って来るなり「チコー!(男子ー!)」と叫びみんなを笑わせました。日本の女子校と同じだなと思いました)
ホールにみんなが集まり、トゥナの演奏と歌に聴き入りました。
しばらくすると、男子達が女子達にダンスの申し込みをし始めました。
男子から差し出された手を女子が取ると、男子はホール中央まで女子をエスコートしました。
男子は女子の背に手をまわし、女子は男子の肩に手を置き、もう一方の手を軽く握りあって向かい合って踊り始めました。

私も早い段階で数人に申し込まれたのですが、その手のダンスの経験がなく恥ずかしくて断ってしまいました。

ノリの悪さでチャンスを逃す、これは若い頃の私のいつものパターン。
再び誘われることなくそのままとうとう壁の花・・・・。
皆さん、同じチャンスは二度と来ないのです!
ちなみにスペイン語で、壁の花になることを「七面鳥を食べている」と言います。
私が考えるには、パーティーで人の輪に入れず黙々と七面鳥を食べている様子が由来なのではないでしょうか(涙)。
クラベリートス、クラベリートス····。
尻込みしたことを悔やんでも後の祭り。
いつまで歌い踊れば気が済むんだと思いながら楽しそうに踊る人達を眺めている時間の居心地悪さといったら!
自分に対してももちろん、自分の子供達にもこれを覚えていてほしい。
「恥ずかしがらず、人目を気にせず、まずはやってみる」

2024.02.22

グラナダのセマナサンタ(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

少し早いですが、セマナサンタを思い出しました。

厳粛で壮大な宗教劇を大勢の人たちと共に見守り、一体感を感じた素晴らしい思い出です。

セマナサンタに関係するいろいろな単語も当時覚えたので、それも思い返してみました。

●パソ(キリストやマリア様の像が載った山車)

●コフラディア(カトリックの団体。セマナサンタの行列を取り仕切る。多分)

●コスタレロ(パソを担ぐ人)

●プレンディミエント(キリストが捕らわれの身になったこと)

●カピローテ(先のとがった頭巾)

●ナサレノ(セマナサンタの装束の人)

●エル・ナサレノ(頭文字が大文字で、キリストのこと)

●エル・カウティボ(頭文字が大文字で、キリストのこと)

★~★~★~★~★

  「グラナダのセマナ・サンタ(1997年)」(フェイスブックの過去の日記より)

スペインの行事で特に心に残っているものの一つが、3月後半にあった聖週間(セマナ・サンタ)です。
サクロモンテでセマナ・サンタを見ようということになり、その日の夜遅くに友人とサクロモンテに行きました。
広々とした原っぱに幾つもの焚き火が燃えていて、それぞれの焚き火に数人が車座になっていました。
私達は、地元の友人同士だという若い人たちのグループに入れてもらいました。3月末の真夜中、火の気のないところにずっといたら凍えて絶対に耐えられませんでした。本当に有り難かったです。
普段は宗教を気にすることはあまりないけれど、セマナ・サンタの時は少し感傷的になるんだ、という話を焚き火を囲みながら聞きました。
それぞれの焚き火のグループはとても楽しそうでした。
当時、ニーニャ·パストーリの「トゥ·メ·カメラス」というフラメンコのタンゴがとても流行っていたのですが(確か車のCM にも使われていました)、それを手拍子しながら歌って、1人ずつ輪の中央で踊って次の人と交替していく光景を見て、あまりにも絵になるので感動しました。
午前3時頃、皆がわーっと動き出しました。私達も着いていきました。向かう先は教会です。
暗くて足元が危なかった記憶があります。
教会への道の途中、こっちが近道だと言って周りの若い人たちが次々と崖をよじ登って行くので私の友人たちもそれについていきました。
私はおとなしい子供時代を過ごし、お転婆な経験ゼロ。運動神経にも自信ありません。どうしよう··とためらっていると、知らない誰かが腕を伸ばしてくれたのでその手をガシッと握って引っ張りあげてもらいました。
教会の前で、十字架にはりつけにされたキリストの像と、聖母マリアの像が向い合わせになりゆらゆらと揺れていました。
息子の姿を見てマリア様はどんな気持ちだっただろうかとその場にいる一人一人がきっと思いめぐらせていたと思います。


数人が代わる代わる歌う「サエタ」という悲痛な唄に胸を打たれました。サエタはスペイン語で矢という意味です。
終わると皆がどっと帰ります。人の波にうまく乗らないと危ないので、今度はジャンプして崖を下りました。
帰宅は午前5時位でした。厳かで感動的な経験をしたことや、その他いろいろな興奮が混ざり、なかなか眠れませんでした。

2024.02.14

フラメンコ教室エルソル 鵠沼教室の看板

 今日はバレンタインデーですね。

これは数年前に作ってもらった看板です。

色も形も私の好きなチョコレート風。

育児真っ只中の頃は、ストレスでカレ・ド・ショコラ(21枚入り)を3日で食べ切っていました。

私がフラメンコ教室を自宅で始めた理由は、育児で家に引きこもりがちになっている人の役に立ちたかったからです。

フラメンコに興味ある方、ぜひご連絡ください。

2023.12.21

1月からソレアポルブレリアを始めます(有隣堂戸塚カルチャーセンター)

 12月17日(日)、今年最後の戸塚教室のレッスンが楽しく終わりました。

ギター伴奏もしていただき嬉しかったです。ありがとうございました。

生徒の皆さん、長い時間をかけてアレグリアスを頑張りました。

1月からソレアポルブレリアを始めます。

楽しみですね。

2023.12.03

2023年12月2日(土)、湘南アイパーク「健康・移動をデータで結ぶ未来」に参加。

 2023年12月2日(土)

ーHEALTHCARE MaaS 2023ー

「健康・移動をデータで結ぶ未来」

藤沢の湘南アイパークで開催された、健康と長寿を考えるイベントに参加させて頂きました。

夕暮れ時のような写真ですが、お客様にはヘルシーランチセットを召し上がりながらショーを見て頂きました。

カフェテリアステージにお越しくださいましたお客様、ありがとうございました。

フラメンコは年を重ねるほどに楽しくなります。

踊りのことだけでなくて、フラメンコを通じてつながる人間関係もとても大きなものです。

カンテの礼子さん、ギターのじゅんさん、どうもありがとうございました。

2023.11.26

フラメンコ教室エルソル 第11回発表会を行いました。

 2023年11月25日(土)、藤沢の新堀ライブ館のセゴビアホールにて第11回発表会を行いました。

急に寒くなった日でしたが、お越しくださいましたお客様方、ありがとうございました。

毎日忙しい中一生懸命に練習してきて、生徒さんも素晴らしかったです。

来年の夏の発表会も楽しみですね。頑張りましょう。

ギターの宮川明さん、カンテのレイコシミズサンギットさん、どうもありがとうございました。

2023.11.23

東方の三博士の日(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 グラナダの寮は授業が始まる前日にならないと入れなかったので、年末年始のイタリア旅行の後は、グラナダに帰る前にマラガに少し滞在しました。

★~★~★~★

「東方の三博士の日」 (フェイスブックの過去の日記より)

スペイン留学中のクリスマスと年末年始はイタリア旅行をしていましたが、1月5日はマラガにいました。

1月6日が祝日で、その前夜に東方の三博士が子供たちにプレゼントを持ってくると言われています。

1月5日の夕方に大通りでパレードがあり、マラガに帰省中の子と一緒に見ました。

山車から沿道の人たちに向かってお菓子が投げられるので、ここがいい、あっちがいいとウロウロしてパレードを見る場所を決めました。


私は折畳み傘を手に持っていたのですが、鞄にしまうように言われました。

傘を開いてお菓子を傘の内側に入るようにしていた人がいて(大胆!)、他の人とトラブルになったのを前に見たというのです。

誤解されてスペイン人のあの早口でまくし立てられたら、もうたまりません。急いで傘をしまいました。


三博士に扮した人たちを指して、「あれがバルタサール、ガスパール、メルチョール」と教えてもらいました。

私はカトリックの学校にずっと通っていたのですが、三博士にそれぞれ名前があることを初めて知りました。

何十年たっても忘れられない得難い経験がマラガでもできました。

2023.11.21

スペイン留学中の年越しはナポリで(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

スペインでは、大みそかの12時の鐘に合わせて12粒のぶどうを食べて1年の幸せを願う、と大学1年の時に授業で習いました。

とても楽しそうな習慣ですが、私はスペイン留学中の年末年始はイタリア旅行をしていたのでそのuvas de la suerte を食べていません。
体が2つあればいいのに、と当時日本人留学生の友達が言っていて、本当にその通りだと思いました。

イタリアでの年越しも刺激に満ちていて一生の思い出になりました。

★~★~★~★

「スペイン留学中の年越しはナポリで」(フェイスブックの過去の日記より)

年末年始はイタリアを旅行し、ナポリで新年を迎えました。
大晦日の夜に大きな広場へ行きましたが、爆竹が鳴り響く荒々しい騒ぎに圧倒されました。
ナポリを見てから死ねという名言がありますが、ナポリで死ぬかも、と一瞬思ったほどでした。
日本の厳かな年越しと全く違うのでカルチャーショックを受けました。
1月1日の昼間にナポリの町を歩いていると10歳にもならない位の男の子が私の足元に爆竹を投げ付けてきました。
ぎゃっと叫んで飛び退いてその子供をキッと睨んだら、向こうは私にウィンクしてきました。
なんて末恐ろしい子供!
そういうこともありましたが、イタリア旅行の中でもナポリは特にワクワクすることが多く、ポンペイ遺跡やカプリ島にも行って、面白いところだったなあとずっと心に残っています。

高台までかなりの距離を歩いて行って、そこからの眺めが思わずわーっと声が出たほど素晴らしかったです。

東方の三博士の日の前夜の1月5日にはマラガにいました。その時の思い出はこの次に。

2023.11.19

スペイン留学中のクリスマスはイタリアで(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

 クリスマスといえば、

育児で大忙しだった頃、「クリスマスプレゼントは何がいい?」と夫に聞かれて「独りの時間が欲しい」と切実に訴えていた時期もありました。

サンタクロースから届くプレゼントが本や図鑑の時が多く、「サンタって欲しいものくれないよね」とうちの子供たちが小さい頃に兄弟同士で話し合っていたのをそばで聞いていて面白かったです。

大学3年の時のスペイン留学中のクリスマス休暇は、本当に貴重な経験でした

★~★~★~★

 「スペイン留学中のクリスマスはイタリアで過ごしました」

グラナダ留学中のクリスマス休暇で、私はローマ、ベネチア、ナポリを観光旅行しました。
ローマにはクリスマスイブの夜に着いたのですが、お店がどこもかしこも閉まっていて驚きました。
イタリアでは、クリスマスは日本人にとってのお正月のような大切さなんだと知りました。
そしてさっそく困ったことが起こりました。
グラナダから電話で宿泊予約したはずのホテルで、予約名簿に名前がないと言われてしまったのです。
もしかして野宿することになるのかと思いましたが、ホテルの人が「大丈夫。心配しないで」というようなことを何度もイタリア語で言いながら、他の何ヵ所かのホテルに電話して空いてる部屋を探してくれました。
20数年経てば、これもクリスマスの良い思い出です。
レストランがどこも閉まっていて、小さなピザスタンドで買って立ち食いした一切れのピザが本当に美味しくて身に沁みました。
これ以上に美味しいピザはないと思いました。
今でも人生の中でいちばん美味しかった食べ物の1位か2位がこの時のピザです。
(ちなみに1位を争うのが、フランクフルトーマドリッド間のルフトハンザ航空の機内食。大学3年になる前の春休みの、初海外旅行の時でした)
あまりにも美味しくて、次の日にも行きました。
一切れの大きめのピザが残っていて、ちょうど新しいピザがガラスケースに入ったところだったのですが、最後の残りのピザを渡されました。


そっちの熱々の方がいいんですけど、と言えませんでした。
前の日に食べたピザの二倍近い大きさでした。
冷めていて全く満足感がありませんでした。冷めたピザほどつまらないものはないと思いました。
(そういえば、日本で「冷めたピザ」という言葉が話題になったことがありましたね。覚えてますか?知ってますか?)
ベネチアはとても寒かったです。ベネチアのことを思い出そうとしたら運河に停泊するゴンドラの揺れる音が今耳によみがえってきました。
振り向けばカフェがある、というくらいに町にカフェがたくさんあった記憶があります。手足がかじかんでカフェに入り、イタリア留学中の日本人学生とおしゃべりしたことが楽しい思い出です。
年越しはナポリでしました。その思い出はこの次に。

2023.11.16

スペイン留学生活最後の日(フラメンコブログ フラメンコ教室エルソル)

少し前に左膝にかなりの怪我をしてしまいました。

この傷だけで済んで本当に運が良かったと感謝すると同時に、「怪我は一瞬」と ぞっとしました。

右膝にも大きな傷跡があって、両膝にある新旧の傷が「油断禁物。一寸先は闇」と時々自分を戒めています。

右膝の古い傷は、25年以上前のグラナダ留学最後の日につくったものです。

★~★~★~★

「スペイン留学生活最後の日」(フェイスブックの過去の日記より))

日本に帰る前日に強盗に遭ってしまいました。
シエスタの時間にアルバイシンを歩いていて気が緩んでいました。
あっと思った時にはもう遅かったです。
貴重品は持っていなくてフラメンコシューズを入れた半透明のビニール袋だけを持っていたのですが、首を絞められて、向こうの方に見えたアルハンブラ宮殿がぐるんと一回転しました。
約1年間の留学生活最後の日でしたが、日本語しか出てきませんでした
たーすーけーてー!!と命がけで繰り返しました。
全身から血が噴き出しているような感覚だったのですが、立ち上がった時に怪我しているのが右膝だけだとわかり、あれ?と思いました。
友達の家に行って膝を消毒して包帯を巻いてもらい、寮まで歩いて帰りました。
二度と来るかこんな国、と思いながら歩いている途中にも血が止まらなくて包帯も緩んできて、すれ違う多くの人達が心配そうに見るだけでなく声をかけてくれました。
この近くに自分の家があるから包帯を巻き直してあげると言ってくれる人もいたり、お店の人達は″うちに入って入って″と言ってくれました。
車の運転手やバスの乗客も″おーいどうした″と声を張り上げ、文字通り四方八方から声をかけられました。
自分では痛さよりもショックの方が大きかったのですが、血をぽたぽたと流しながら歩く女の子....。
よほどすごい光景だったようです。

留学中にいつも言われていた″チニータチニータ″の声とは全く違う真剣ないたわりの声を聞き、私はずいぶん複雑な気持ちになりました。
翌日、マドリッド行きの飛行機で席が隣になったシスターが、まだ血がにじんでいる私の膝を見て、役に立つかもと言ってティッシュをくれました。
最後の最後まで優しい人に会えたと思いました。
日本に帰ってからも、後ろから急に腕をつかまれる夢を見てはっと起きることが何度かありました。
油断大敵、もう馴れたと思った時がいちばん危ないと痛い思いをして理解しました。
(私がすごく叫んだので犯人は捕まりました。)

カレンダー

«10月»
  1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31   

ブログ内検索

フィード